図書館で久々に授業をする。
授業数がカツカツすぎて、図書室への移動すら時間のロスが惜しい日々が続いていたのだけど、自習になる授業の穴を無理やり奪って、図書室へ生徒を連れていく。
場所の力
教室は狭い。だから、何かを協働して取り組むには向いていない。そもそも、机を正面に向けて一斉に話を聞かせるための構造になっている。
だから、教室でグループになって作業をしようと思っても、荷物が多すぎて机を島にすることすら難しい。せめてスペースがあれば全然違うのだろうけど、ひたすら人間を詰め込もうとする。20人くらいで使えば余裕もあるだろうにきっちり詰め込んで意地でもスペースを作りたくないように感じる。
脇目を振るな、前を向け。
そういうメッセージが教室の構造にはある。
図書室に行くと机の配置もどこが正面というわけでもないし、空間も広々としているし、何よりも本に囲まれているのがいいのである。
自分では普段は手に取らないような本であっても、図書室で目に入ったものは目を通したくなる。明らかに読書量は増えるし、触れている情報量は増えている。
ただ、何かに向けて効率よくやっていこうという時には、図書室は話がややこしい。結構な頻度で子どもたちの気が逸れていく。
時間が無いときには気が散っているような感じにも見えてくるかもしれない。
最短距離で
普通の教室で普通の授業をするのが伝達効率という面では圧倒的によいのだ。定着するかは知らんけど、伝えたという事実と何かしたという事実は残る。そして、ペースは授業者の都合で決めれば良いのである。極端な話をすれば、高校の時に教科書を教員が取り出して「〇ページから〇ページまでめくれ」と言われて、言われたとおりにめくったら「じゃあ、授業で扱ったから今の範囲は考査の範囲です」とやられたことがある。全くもって酷い話である。
自分はそんな悪辣なことはしないけれども、時間が無いときほど一斉授業が増えるので、やっていることはあまり本質的には変わらない。時間が無いから必要なことを教えるというアリバイを果たして、考査を回しているに過ぎない。
生徒にとっても気が散らないで、労力を減らしてどうにかしたい課題であれば、教室で教えてもらうのが比較的ラクなのである。
効率よく、気疲れせずに、どうにか進めたいときもあるのだ。そういうことが悪いとは言わないが、最短距離ばかり走っていても疲れないかなと思うのである。
遠回りすることも
図書室のような環境だと、課題について考えていたはずなのに、別の本を手に取っていることもある。生徒を惹きつける雑誌もある。
そういう時に学習課題をやらないからといってあれこれと言うのか、それともそれもそうかと好きにさせるか、それは授業者の判断である。個人的には図書室に来ているのだから、好きな本を手に取ってたっぷりと文字を読んで、そうしていつも教室に戻っていけば良いとは思う。課題は期日に終わってほしいけど。
教室のように限られた資料しか手に取れない場所であれば、限られたものをコツコツとやればまとまるけど、図書室のように情報量が急に増えると、溺れるように文字の間をめぐりめぐるようになる。そうして1コマで進捗なし…みたいなこともあるけど、まあ、それもいいんじゃなかろうかと思うのである。
図書室を隅から隅まで何度も歩き回り、様々な棚から本を手に取った経験は、きっと自分で学びたいと思ったときに何かの役に立つのだろうと思う。
だから、個人的には進捗が怪しくても、余裕をもって、図書室という体験をもっと授業で大切にしたいのだ。