年末気分に。
割とやることが多く、生徒への指示も多い。
そういう時期の自分のセリフは思わずキツくなりがちである。
焦らないようにしたいけど…
色々なことを逆算しながら仕事をしていると、どうしてもその場その場の進捗が気になる。だから、予定通りに行かないと思わず声を荒げたくなる。強い言葉を使って指示を通したくなる。
ただ、そういう相手に対して圧をかけるような言葉遣いをして自分の要望を通そうとするのは、まあ…よい教育ではないですよね。
つい「子どもたちのために」という気持ちで強く言いがちなのだけど……そういう姿勢はよくない。やっぱり、そういう忍び寄るパターナリズムが一番、自分を甘やかしてダメにすることなのだ。
言いたいことがあるならば、言いたいこと以上に情報を盛り込む必要も無いし、必要以上に感情を込めなくて良いのである。
何も足さないし、何も引き算しない。そういう淡々とした静かな言葉で教室では過ごしたいと思うのである。
放っておけない弱さ
自分が言葉を強める必要は、何度考えても、経験的に考えても、あまりないのである。
自分が強く言わないとしても、気づきがあれば子どもたちは自分で考えて動けるようになるし、仮に何かを伝えなかったとしてもそれほど致命的に大きなエラーになることはほとんどないのである。
むしろ言葉を強めて「動かす」ということのほうが害が大きい。
そして「動かす」ということは魅惑でもある。指示通りに人が動くことには、おそらく何かしらの快楽がある。だから、そういうことを手放せないのだろうと思う。
でも、動かせば動かすほどに自分たちで動けなくなるのだ。
話をじっくりと聞く手間を惜しんではいけない。
話を丁寧に考える時間を手渡すことを惜しんではいけない。
頭で分かっているし、合理的に考えて強い言葉を使うことは虚しいと分かっているのだけど……なかなか行動として実現するには勇気が要るのだ。