ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

自分で進路を考えることの難しさ

大学入試の季節になっている。高校3年生にとってはついに本番という感じ。

高校2年生にとっては、いよいよ進路をどうするか、決断をしなければいけない時期でもある。

決めないと難しい時代に

大学入試のことを考える時に、どこまで具体的に考えるかということに難しさがある。

良くも悪くも大学入試改革が少しずつ進んでいることや少子化の影響が大きくなってきたことなどもあって、かなり大学入試の様相が変化してきている。

少なくとも自分が就職した頃の10年前に比べると、入試の種類は格段に増えているし、入試問題の傾向も変わっている。細かい話をすれば配点などもかなり違いがあるし、外部検定試験の利用の有無などもある。

何が言いたいかというと、「どの大学に行きたいのか」ということを明確にしないと、そもそも受験勉強自体がやりづらくなってきているということだ。

もちろん、学力が高くなれば(=偏差値を高く取れれば)、細かいことは別に考えなくても合格が出ることは十分にある。ただ、現実問題として、生徒が行きたいと思う大学は自分の実力よりも高いところを目指したいというケースが多い。だからこそ、どういう受験勉強をするかということが、割と重く合否に関わってくる。

そういう状況になってくると、実は志望校選びが早く決まれば決まるほどに、対策の道筋が分かりやすくなってくるので……受験勉強の生産性という意味では、早く決断できた方が良いのである。

そういう状況だからこそ、どうしても進学校の指導としては、早いうちから高校の出口、大学の学び、その先の進路ということを明確に決めるように言いがちなのだけど……。

決めろと迫られることの重圧

高校2年生くらいの年齢の生徒に、自分の人生をいまここで決断しろ、という迫るような進路指導はなかなか酷だなと思うのである。

文系の方がまだ融通が利くが、理系となってくるとなかなか分野を選び間違えると、受験勉強はもちろん、入学後も厳しい生活が待っている。

ミスマッチがないように色々なことを学校も仕掛けるのだけど、まあ…自分の数年先のことを決断させる割には充てている時間は短い。学期に数コマという感じだろうか。

決められないものを決めろと迫ることは不毛だと思うものの、進学という面で考えると決めた方が合理的であるし、勝算も立つのである。

数字的な合理性と心理的なバランスが上手く取れていない感じが非常にする。

そもそも文系理系の選択も、酷いところだと高1の6月頃に決めさせるわけで。

そんな高校に入学して1ヶ月ちょっとしか経っていないのに、自分の卒業後の進路は文系か理系かなんてちゃんと決めるのは厳しいよなぁ。

何でもかんでも早く決めなければいけない時代はなかなか窮屈である。

とはいえ

一方で何も考えないで、有名大学にだけ行きたいという雑な考え方をする生徒もいるので、どこかではちゃんと考えさせた方が良い気はしている。冒頭の通り、大学の方が「こういう個性で行く」という色を強く出し始めている気配があるので、自分の個性をミスマッチした大学に行ってしまえば、なかなか面白くない状況にはなるだろうと思う。

どこかで自分で決断するということを経験することも必要なのだろうと思う。

色々なことがある。

迷わずに進むことは難しい。

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