ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

キャリアのイメージの難しさ

キャリアに悩む子どもたちをイラスト風に描く。日本人に受ける絵柄を意識する。

こんなニュースを見た。

news.yahoo.co.jp

親の反対で就職活動の結果が左右されるという話を見ると、直感的にはギョッとする。企業の立場で考えると、選考にも費用がかかっていることを考えると、なかなか嫌な感じの「リスク」だと感じるし、記事のように親へのアピールを行う流れも宜なるかな。

一方で、人を大切にする方向で社会のあり方が変わっていくきっかけとなっていくのであればこういう流れも悪い話ではないとは思う。

ただ、とはいえ、一人の人が自分の人生の選択を決めるときまで、どこまで自分の親の意向を汲むのだろうかということは考えさせられる。高校で進路の指導をしていても、本人と保護者の意向のバランスは悩ましいものがある。

一人だけで決める時代ではなく

自分が高校生くらいの時流では、大学入試については保護者の意向よりも受験生本人がどうするのかということで決断していたように思う。

保護者の意向はあっても、最終的には本人の意志が強く反映されるような傾向だったように記憶している。実際に、色々な調査の結果を見るとやはり数字上は受験生本人の意向が強く反映されるような傾向だと見える。

そういう実体験と比較して、今の受験生やその家庭の気質や実際のアンケート調査の傾向を見ると、保護者の関与や保護者の意向が受験に与える影響は確実に大きくなっているとわかるのである。

必ずしもネガティブなリアクションではないので、そのことの是非については置いておく。

ただ、進路指導について面談をしているときに難しさを感じるのである。

正解探しになりがちで

保護者と生徒の二人三脚で進路を決めていこうとすると、どうしても傾向としては保守的になりがちである。それは仕方ない。自分も保護者であればそういう進路の勧め方をするだろうと思う。

ただ、保守的になればなるほど客観的なデータを見て考えてみると、かえってリスクを抱え込むことになりそうな印象もある。特に本人の適性として見えていることと保護者の勧めたい進路がミスマッチしているように見えるときには。

自分も担任として自分が見えていることを伝えて、考えてもらうくらいの表現しかできないのである。担任の責任が負える範囲は非常に限定的である。淡々と話すべきなのである。

いい加減なことは言えない。ただ、見過ごすこともよくないと思うことも多い。

どうしても自分も保護者も「これが正しい」という観点で話を進めがちになる。この何かが正しいということを探そうとする姿勢は、競馬のようなものだなと、本当にこういう発想で良いのだろうかと自問自答するしかない。

やりたいことをやる時間を広げても

社会の変化が激しく、一方で社会に出るまでの猶予も長くなっている今の社会だからこそ、それぞれの決断の場面においては、やりたいことを優先してみてもよいのだろうと思っている。

やりたいことをやってうまく行かないとしても、リカバリーの負担はおそらくかなり小さくなってきていると思う。

もちろん、失敗を引き受けることの負担はゼロにならない。

だから、無理なリスクを負わせることを進めるのも自重しなければならない。

ただ、少しだけ、もっと緩やかに考えても大丈夫なのだよという話をしてあげられないかと思うのである。

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