ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

小論文の最初としては

受験シーズン。小論文を使った受験は一般受験でも決して少なくない。

断続的に小論文の添削希望が届く時期である。

また、高校2年生は小論文の学習が気になり出す時期でもある。

内容勝負にたどり着くために

再現答案や成績開示の感触から、なんとなく評価される小論文の傾向については自分の中に感触はある。

受験の小論文はあくまで受験という枠組み、ルールの中での評価であって、それが普遍的に優れているという訳ではない。だから、あまり何がよいかということに一喜一憂してもよくないと思うものの、自分の生徒が不安なまま受験に行くのも望ましくはないので、ある程度のルールは教えたいところだ。

ただ、実際のところ、どの答案がどのような採点基準で評価されているのかということは明かされないので、結局、なんとなくの肌感覚でしかものは言えないのである。

そういう状況ではあるものの、色々な生徒の受験結果などから感じることとしては、小論文の試験については、かなりの割合のところで「内容以前」の「読みやすさ」のようなところに影響されているのだろうなという印象はある。

あまり詳細に書いて、この記事を見た受験生が鵜呑みにしてしまうのも良くないので、フワッとしたことしか書かないけど、おそらく「何が言いたいのか」ということがストレスなく読めるような答案であることが重要だろうと。

「ストレスなく」というのは、字の綺麗さという話ではなく、「言いたいことの明確さ」であったり「順序の流れの良さ」であったり、「段落構成」であったりと、形のようなことなんだろうなと思う。

どういう感触があるので、確かに何でもかんでも型に当てはめて書かせるような書き方は、ある程度の段階までは指導としてはシンプルで分かりやすく、効果もあるんだろうなと思う。

何でもかんでも型どおりは…

型を守って書くことをやらせることには有効性があるのも分かるのだけど、実際、よく参考書などに出てくる型を考えなしに使っているだけで、内容が伴わない小論文についてはかなり厳しいだろうと思う。

数多く読む立場になってみると分かるが、型が先にあって、内容によって型が適切かを考えていない小論文は、読んでいてちょっと奇妙な感じがする。

また、非常に思考停止したように見えてしまうのである。

思考力を試すはずの入試であるのに、型を守ることによってかえって思考していないように見えるのは、かなり損であろうと思う。

型は読みやすさや伝わりやすさのために使う道具であって、何でもかんでも解決できる万能の道具ではない。でも、それがあまりピンとこないで、とりあえずマスが埋まってしまうことの方を優先したくなるのだろうなぁ…

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