ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

オンライン授業の質も生成AIで変わる?

雪で首都圏の交通は混乱。なかなか授業が思い通りに始められないところです。

そういう状況に無理して事故のリスクを負うならば、オンライン授業を普段から機能させておけば…と思わないこともない。

ただ、画面から放映するだけや課題を配信するだけのオンライン授業でいいのかな?とふと思ったのである。

配信するのも良いのだけど

オンライン授業の経験値は、好むと好まざると高くなった現代の学校。おそらく、よほどICTを排除している地域に閉じ込められていない限り、この数年間で何度かは授業を配信するという経験をした先生は多いように思う。

だから、本当はオンライン配信という授業スタイルは、負担が重いという点を除けば、実現しうる手段として定着しつつあると言えそうな気はしている。

ある意味で一般化、ある意味で陳腐化である。

そういう状況になっていることを考えると、やっぱりさらに子どもたちにとって学びやすいオンライン授業ってなんだろうと考えたくなるところだ。

プリントや課題が配信されるので一人で自習する、ビデオ通話でライブが配信されるので、一人でノートを取りながら視聴する、オンライン通話しながら友達同士で共同編集する……どれもそれぞれの意義があり、効果もあったと思う。

でも、何かが物足りないという、そこに何かを挑戦できないかと思うのである。

生成AIが何かを埋められないか

生成AIの強みについてもだいぶ議論されるようになってきたと思うが、大まかな方向性としては、検索代わりに使うのではなく「相談相手」として利用することで価値が生まれるのではないかという話をよく見るようになっている。

どういう質問、プロンプトを投げかけるかも重要だが、その後、深掘りする対話を続けていく姿勢もかなり大切なのだ。

そういう観点から考えた時に、子どもたちがそれぞれに生成AIを活用出来るようになっていけば、そういう深掘り、思考を深めるための壁打ちの相手として、そして知識の補完を手伝う機能として、生成AIがオンライン授業の何か物足りないところを埋めてくれる可能性はあるなあと。

GPTsのように特定の用途に特化していくのであれば、あらかじめ授業者が意図するフィードバックの仕方をGPTsに組み込んでおけば、生徒のアウトプットに対して自分に代って生成AIが緊急避難的なオンライン授業の時には暫定的に肩代わりをして仕事をしてくれるかもしれない。

そこまでいかなくても、適切なプロンプトを準備しておき、急なオンラインの時には、そのプロンプトでの対話を生徒に促せば、1コマの授業の穴埋めとしては充分すぎるほどのフィードバックを経験できるかもしれない。

オンライン授業のもつ何となくのラグ。そういうものの違和感を生成AIの即時性が補完する可能性はある?

何かはありそうだけど、アイデアとしてはまだ無い。

Copyright © 2023 ならずものになろう All rights reserved.