真面目に反論しません。
徹底して論じようと思うと、色んなことを調べることになるので、それは、また今後の課題として取っておきます。来年あたりの記事のネタとして…。
だから、カテゴリも「国語教育」は入れません。本当にただの雑記として見てもらえれば。
問題にしたいのが以下の記事です。
「コピペ」の推奨はやめて欲しい
読書感想文が意味があるかないかという議論については、現場の教員としては「意味がある」と強気に開き直って言えるほど、全国どこでもきちんと指導が十分にされていると言えないので苦しいところ。
実際、集めたけど読んでいるのか読んでいないのか分からないような扱いを受けるようなことは少なくないし、自分自身も書いた読書感想文が行方不明にされた記憶がある。
そのような「不毛な」状況にあることが多い読書感想文なので、毎年、いろいろなコツだとか批判だとかが話題になっている。
ここまで言われてしまうと、甘んじてお叱りを受けるしかないです、ハイ…。
しかし、しかしです。それでもやっぱり「コピペでOK」って言い方は目に余るものがある。
当たり前ながら、高等教育で最もやってはいけないことは剽窃、コピペである。もう、これは自分が偉そうにいうまでもなく、某女史の事件のおかげで「コピペは許されない」という話は、世間にもだいぶ広まったと思うが、それでもまだこのような開き直りがなされるのかという印象だ。
大学でのレポートのことを書いてみたり、保護者に教育論を説いたりするのに、よくこういう厚顔無恥なことが書けるなぁという感想に尽きる。
教員側にもいろいろと問題や苦労はあるけどね…
この記事で指摘されている以下の部分はなかなか耳の痛い話ではある。
教員の立場から見ると、本読ませたいという思いはありますが、実際にそれを目に見える形で成果を表すにはなかなか難しいものです。子どもたち同士で本を読んだ感想を話し合う集団読書の様々なスタイルも取り入れられる動きがありますが、準備の煩雑さや予算の制約があります。自由に本を選んで感想文を書かせて提出させるというのは管理する側から見て、とても楽で評価もしやすいので、読書感想文という宿題を選択するのです。
教員自身も読んだことのない本の読書感想文を読むことがほとんどです。
「予算の制約」で十分に本を持たせることが難しかったり、「読んだことのない本の読書感想文を読」んだりという話は、酷い話であるが、実際、起こりうる話である。「管理」という言い方もあまり好きではないが、場合によっては客観的なブツを出せと言われることもあるので、まあ、分からない話でもない。
読書感想文という宿題のあり方自体、やはり色々と制度疲労を起こしているのは事実だろうから、考えなければならないけれども…それは、また、来年考えます。
そんな中で、一筋の光明?というと大げさだが、面白い話を見つけた。
どうしても教員や学校は仕事を抱えこみがちになる。だから、今、問題があることも、リソース不足で解決ができないということはある。
だからこそ、学校内のリソースや地域のリソースを掘り起こしていき、子どもに色々な大人が関わって、学びの質が担保されていく仕組みができていくといいよなぁと思う。
自分も学校では、授業で使う資料を司書の先生に出してもらったり、逆に授業中に図書室の使い方を継続的に指導したりするなどして、どんどん色々なものを教室に持ち込めるようになってもらいたいなぁと思って授業をしていたりする。
使えるものは使っていいんじゃないでしょうか
この前、自由研究についての記事を書いたけど、今回もそれと同じような気分です。
学校の先生も、十分に指導する時間がなければネットのリソースを活用してみることもアリでしょうし、逆に学校からの指導で足りないということであれば、ネットの記事を参考にしてみるのも(コピペはありえない)いいでしょう。
使えるものを使って、最終的に成果を出せることが大切です。…当面は。