ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

努力でどうにかできること・できないこと

Confused

こんな話を見た。

togetter.com

クラスに何人かは何度言っても忘れ物がなくならない生徒はいますよね。

教員の側としては注意せざるを得ない部分はあるけど、本当にその注意が生徒のために行っているのかなぁと反省する話だ。

忘れ物をするのは本人の怠慢か

人によって症状や置かれている文脈が異なるので安易なことは言えないのだけど、整理整頓や忘れ物をしないようにするということは、どうしても学校の教員の立場からすれば指導しなければいけない側面はある。

どこまで力を入れてやるのかということについては、学校や学年や個人の考え方で温度差はあるかもしれないが、まったく放置して注意しないということはないだろう。

よく「そうやって忘れ物をするのは持ってくる気がないからだ」という態度で生徒に強く当たる教員がいるし、それならまだ良いほうで、うっかりすると鬼の首を取ったかのように物凄い勢いで叱り飛ばす人すらいる。

でも、ヒステリックに生徒を叱り飛ばす教員を見ていても気分の良いものではない。もちろん、教員としては仕事は増えるしイラっとする気持ちも分かるのだけど、指導ということを大義名分にして生徒を罵倒する道理はない。

見ていて非常に不愉快な気持ちになる光景であるけど「忘れ物をするほうが悪い」という大義名分がある以上、怒り狂う教員の方を止めに入るのは……まあ、無理ですね…。

指導と八つ当たりは紙一重……ではないはずんだんだが…

できないことをそのままにすることは教員として責任のある仕事をしていることにはならない。だから、生徒が何かすることができないというのであれば、何が問題でどうするればよいかを考えなければならないし、子どもの状況に合わせて丁寧に指導をする必要はある。

何だかこういうと理想論のようでやや居心地の悪さを感じる物言いではあるけど、実際問題、「何も手当しない」ということは教員としても労力のかからないし、生徒も嫌な思いをしないので両得み見えるところだけど、問題の先送りでしかない。どこかで周囲の人間か本人かが貧乏くじを引いて、大きなコストを払っていくことになるのだろう。

教員に対する約束の不履行であれば、教員がグッと堪えて粘り強く話していけばいい(怒鳴り散らすではない)ので、百歩譲って問題は少なく済むだろうけど、これが子どもと子ども同士や子どもと社会という関係になってくると話は穏便では済まなくなってくる。

子ども同士のトラブルは、学級にとっても生徒自身にとっても大きな損だ。だから、大きなトラブルになる前に、どこかで教員が支援しておかなければいけないとは思う。道徳の授業をやるでもよし、日常的に生活指導するもよし。こういう面では『学び合い』の理論は強力だと思う。 

『学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく!

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それは決して子どもに対して失敗を理不尽に怒鳴り倒すことではない。厳しい指導に大声で怒鳴る必要はない。

理解できないことをごまかさない

根本的には「理解できないこと」に対して教員側の余裕のなさがあるように思う。

怒鳴れば言うことを聞く生徒は少なくないし、実際、やる気だけの問題も少なくないけれども、何度も注意しても治らない生徒がいたときに、一方的に怒り狂うのではなく、どんな事情があるのかと、どなる前に思いとどまれる人はどれくらいいるのだろう?

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