しばらく書評を書けていなかったけど、生徒向けの本の開拓はリーディングワークショップの実施に向けては割と重要なので、淡々と進行中。
この本も生徒に読んで欲しいなあとしみじみと思う本である。直接的にすぐに役に立つという手のものではなく、じわりと染み渡るようなタイプの本だ。
優しい言葉で厳しい本質を突く
幼児教育の専門家である汐見稔幸先生が「人生における学び」とは何かについて丁寧に説いている本だ。
あとがきに汐見先生のお母さまのことが紹介されているが、なんと九〇歳を超えても新しく学ぼうするバイタリティを持っている方だそうです。そのバイタリティの根本にある「学びたい」という貪欲さ。
教員として、そういう知的な貪欲さを自分の生活の一部として持つ大人に育てたいという気持ちはある。逆に言えば、目の前にこれほど知的に面白いことがあるのに上手く伝えられないことに対しても悲しく思うことは多い。
いったい、どうすれば貪欲に学ぶようになってくれるのか、悩みはつきない。
そんな自分の悩みに追い打ちをかけるかのようにこんな言葉ある。
学校で言われるがままに勉強するだけでは、個人個人の「学び」は育たないのです。本当の意味の「学び」とも出会えません。(P.10)
「言われるがまま」というのが問題で、生徒を自分のコントロールの下におこうとしているんじゃないかということは何度も問い直さなければいけないんだろうな。
また、「言われるがまま」を問い直す責任を、おそらく読者であろう「子どもたち」にまっすぐと説くことが真摯であると感じる。
「なんで?」と考えなくなると、学びのついての、さらに深い問いには行き着かなくなります。「だって、入試があるからでしょ?」でおしまいです。あるいは、「勉強しないと先生に叱られるし」「偏差値が下がるから」という程度でしょう。目の前の目標を達成することしか頭にないと、なんのために学ぶのかというところまで、考えがいかないのです。(P.58)
子どもに向けられている言葉である。でも、裏を返せば、「進学校」と自称する(自称であることがポイントである)学校では、大人の方が口を開けば入試と偏差値のことしか言わないという現実がある。そんな現実を考えると、この言葉が本当に向けられているのは大人に大してなんじゃないかとも感じてしまう。子どもに対して「入試」や「偏差値」と言わないで学ぶ意義を説けるのかと。
塾には「あの先生についていけば、絶対に大丈夫」という雰囲気があるようですが、僕は、これにすごく抵抗感がるのです。
塾の先生は、「君たちが自主的に勉強すればそれをサポートするよ」という姿勢ではなく、「君たちは大した知恵がないんだから、私たちが言うとおりにやりなさい」という前提で「指導」しているのでしょうか。塾がそういうところであるならば、塾に頼っていては本当の力はつかないと思ったのです。(P.114)
塾ならば「指導」を求めて契約しているので百歩譲ってよいことにしよう。しかし、塾まがいの受験指導とそんな授業ばかりして、指導力があると祭り上げられる学校の教員がいることを自分は知っている。そして、そういう教員が力があると周囲からも子どもからも頼られていく様子を見ていると、苦々しく思うことが多い。
はたして、どれだけ「学ぶことで人生を豊かにする」と本気で生徒に説ける教員がいるのだろう?表面的な言葉を並べても生徒には響かない。響かないかもしれないが、我慢強くどれだけ説けるというのだろう?
時間と我慢をどれだけ教員ができるのか。自分は生徒が乗ってこない様子をみることは精神的にキツイ。
実は教員こそ読むべき本かもしれない
この本は子どもたちに丁寧に学びとは何かを説く本であるけど、現代社会の変化やそういう変わりゆく世界で必要な力とは何かをかなり丁寧に説いている本だ。
だから、実は後半の学力をめぐる説明や学校が変わらなければいけないということは、今の教育改革で散々説明されていることを簡にして要を得る説明をしている。
生徒の学びに対して責任を持つべき教員こそが、本当は深く知らなければいけないことである。
本当にわかりやすく、やさしい言葉で書いている。しかし、その言葉の柔らかさとは裏腹に、要求していることは非常に重い。
非常に丁寧に読んで欲しい。そして、自分事として理解してほしい。