気分よく週末が終わると思ったのに、余計な記事を見つけたので、いくつか小言を書いておくしかない。
どんな記事なのかは、リンク先を確認してもらいたいが、簡単に要約すると
- ベネッセの調査の結果を見ると「部活動」をしてようがしてまいが大して勉強時間は変わらない
- だから「部活をする中高生は勉強しない、できない、というのは事実ではない」という
- むしろ、時間がないことで非常に効率がよくなり自己管理能力が養える
- 「受験勉強」で部活動を引退しても成績が伸びるとは限らないので、「受験勉強に専念」すればいいというものではない
- むしろ、部活動がないことで、体力が落ちることがスポーツ界にとって損失が大きい
- だから、学校はやりたい生徒に部活動をやれる環境を提供するべきだ
以上のような主張になると理解される。
この記事については、基本的には個人の経験で書かれているものだと思われるので、厳密に何かを議論しようという性質のものではないので、あまり目くじらを立てても仕方ないとは思うのだが、「部活動問題」を議論する時に出てきそうな話なので、一応、反論らしきものを書いておこうと思う。
どうしてこのような主張が出てきたのかの推測
この記事の内容は大きく分けて「部活動は別に勉強の妨げになっていない」という話と「受験期であっても部活動ができるような環境を学校は提供するべきだ」という主張に整理できるだろう。
反論の焦点を絞るためにも、どうしてこのような意見が出てくるかを推測してみる。
前半の「部活動は勉強の妨げになっていない」という主張は、おそらく本文でも引用されているベネッセ総合教育研究所の「第2回子ども生活実態基本調査報告書 [2009年]」の報告を読んだことから出てきているのだと思われる。
実際に以下のリンクから調査結果の分析を読むことができるので、確認してもらいたい。
第2回子ども生活実態基本調査報告書 [2009年] │ベネッセ教育総合研究所
上のリンク先の「第2章 毎日の生活の様子 第1節 日ごろの生活」を見てもらうと、本文でも紹介されていた「部活動への参加状況と平日の家庭学習時間」についてのベネッセ教育研究開発センター佐藤昭宏氏による解説を読むことができる(PP.68-70)。
その解説を見ると、結論として、以下のようなことが述べられている。
少なくとも部活動に参加していることが中・高校生の家庭学習時間の減少や、学習意欲の低下につながるような状況はみられない。むしろ、部活動に参加している生徒のほうが、部活動に参加していない生徒よりも家庭学習に積極的に取り組み、意欲高く(学習意欲については中学生のみ)勉強に取り組む傾向が確認された。(P.70)
おそらく、今回の記事の筆者もこの本文を読み、上で紹介したような記述を書いたのであろうと思われる。
また、後者の「受験期であっても部活動ができるような環境を学校は提供するべきだ」という主張であるが、こちらの主張については、自分の経験に基づいて「受験勉強によってパフォーマンスが落ちる」ということからの主観的な主張だと思われる。調べる気がないので、「受験の前後でパフォーマンスがどう変わるのか」というデータがあれば教えてください。
現状については「わからない」のではないか。
記事で提示されているデータは2009年のものであるため、指導要領の変更が行われた現現在、同じような状況であると判断することが妥当かどうかは分からない。そのため、いくつかの資料を参照することで、この点についての推測してみよう。
同じベネッセ総合教育研究所の「第5回学習基本調査」報告書 [2015]を見ると、学習指導要領の改訂に併せて、全体の学習時間が増加している傾向にあると示されている。また、この資料によると偏差値と比例して学習時間が増えており、特に「偏差値50から55」の層の学習時間が大きく増えているという。
残念ながら部活動の所属の有無で学習時間がどのようになっているのかというデータはないので、部活動が学習にどのような影響を与えるのかは議論できない。
また、同じくベネッセ総合教育研究所の「第2回 放課後の生活時間調査2014」を見ると「部活動」の時間については、2008年の調査と比較してもほとんど変化していないため、おそらく、部活動の活動時間については、現状でも大きく変化はしていないと考えられる。
注意すべきことは「拘束時間」ではないか
ベネッセの2009年の調査では、週5時間以上、部活動がある生徒が8割から9割であるというが、その状態からほとんど部活動の活動時間が変化していないにも関わらず、学習時間が増えていることは何を意味するのだろうか。
また、学習時間の増加は、学習の成績と関係があるという傾向を考慮にいれるならば、成績上位層の部活動がどのようになっているのかについて調べてみる必要はあるように思う。
物理的に、1日の長さが変化することはない以上、「学習時間が増加」したということは、何かの時間が短くなったということである。部活動の所属の有無が生徒の学習意欲に影響は与えないとしても、全体の学習時間が増加傾向にあるとき、部活の拘束時間が長いままであると、別のところにひずみが行くと思われる。
そのため、部活動の時間の拘束時間の長さや頻度については議論があってよいと思われる。
したがって、先に紹介した記事のように、学習時間の有無について安易に「自己管理能力」という生徒個人の責任であると主張することや、「勉強時間を確保するために部活をやめるのはおかしい」という主張をするには、生徒の現状の検討が足りないだろう。
端的にいうなら、「部活動の有無で学習意欲や学習習慣に悪影響はないかもしれないけど、全体の学習時間が増えているのに部活動の時間が変わっていないことを無視して、子どもに自己責任を問うのは無理があるのではないか」ということだ。
ちなみに、椋本洋(2015以下のリンクの本)によると一概に比較することはできないが、島根県立横田高校の事例として、過疎地で部活動の拘束時間の長い同校で、家庭学習の時間の確保を考えるには「よほどの工夫が必要」(P.79)という指摘をしているように、部活動による拘束時間の長さは、学習時間に与える影響はやはり無視できないように思う。
どんな高校生が大学、社会で成長するのか―「学校と社会をつなぐ調査」からわかった伸びる高校生のタイプ
- 作者: 溝上慎一,京都大学高等教育研究開発推進センター,河合塾
- 出版社/メーカー: 学事出版
- 発売日: 2015/07/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
また、同書で溝上慎一は、生徒のタイプを分類し、どのような生徒がどのような学習や生活をしているのかを分析している(PP.14-32)が、この分析の中で「部活動と学習の両立との関連」ということを述べている(PP27-30)。
そこでは「部活動と学習の両立が生徒の成長に大きな意味を持つという見方は、勉学タイプ*1における部活動との両立という形態で」(下線強調は引用者。原典では傍点)支持される(P.30)とし、さらに部活動との両立は重要だとしつつも「授業以外の学習時間がどの程度あるか問題にされなければならない」(P.31)と指摘している。
このことから考えても、「部活動の拘束時間」はそろそろ無視できないのではないかと感じている。
環境を提供せよというが…
一流を目指すプレーヤーなのか、趣味程度の活動なのか、文化部なのか運動部なのかといった住み分けなどをしないで、十把一絡げに論じること自体がちょっと無謀なんだが、それとは別の観点で問題点を挙げておく。
それは、「生徒が部活動に関わる監督責任は教員にある」ということだ。あまり、面倒なことは言わないけど、部員が多ければ多いほど、それだけ教員個人がリスクを抱えることになる。
まして、「自分の自主性に任せて部活動をしたりしなかったり」というような活動のされかたをされると、「管理」という面で非常に面倒なことになる。たとえば、気が向いて参加しようと思ったときに、職員会議などで顧問に連絡をできずにそのまま部活をやった結果、教員の知らないところで事故に遭っていたら、その責任は誰が取るのか。部費などについても参加したりしなかったりとしたらどうやって負担させるのか。
また、そもそも部活動の指導は、教員が負うべき仕事であるかは、近年これだけ問題になっているのだから、仮にもスポーツジャーナリストという肩書きを持つならば、スポーツ政策の一つの問題として、「部活動問題」について無視して「学校がスポーツを負担しろ」というのが無理筋だと理解してもらいたい。
ただ、現場の実際では…
かなり疑問を呈する言い方をしたが、高校の実際では、推薦入試などで合格が決まれば、部活に生徒が部活に参加しているケースは少なくないように見えるし、そうでなくても(笑)部活については、生徒が出たいと言えば、止める先生は少ないように感じている。
まあ、ただ、それは善意だよね……ということが前提であって、外野から「スポーツの振興のために制度を作れ」と言われる性質のものではない。
そう言われてしまうのであれば、「スポーツ振興だというなら、それに見合う賃金を払え」と主張するだけである。労働力はタダではない。
もう、端的に言おう。
「現場の教員がどんだけ苦労しているかわからないくせに、叩きやすい学校を叩いて、人気を取ろうという阿漕な真似をするんじゃない」
まあ、感情論だけどね、最後は。
*1:本分析では、クラスター分析によって「勉学タイプ」「部活動タイプ」などのように生徒のタイプを分類して論じている。