ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

入試問題と必勝法?いろいろ大変です

入試のための授業なのか、入試以外のための授業かということに嵌って頭ばかり痛い日々です。 

そんな時にあれこれと考えていると、昔、こんな本が出版されていたなぁということを思い出しました。 

国語入試問題必勝法 (講談社文庫)

国語入試問題必勝法 (講談社文庫)

 

 

何をやらせたいのだろう…

この本は別に真面目に国語の入試問題を批判しようと思って書いているような本だとは思わない*1のだけれども、「問題文から読んでもダメだ」だとか「設問から意図を見抜いて答えろ」だとかいうテクニカルな話は、今でも根強く騙る人はいるので、冗談が冗談にもならないんだよなぁ…と思うのである。

参考書の善し悪しを批評する気はないけれども、参考書の中にはこの本を焼きまわしたような本が毎年発売されているんじゃないかと思うくらいには、受験テクニックは切り売りされている。

そして、それと比例して、「国語教育は役に立たない。こんなひどい問題で入試をやっているからだ!こんな入試問題は生活に役に立たないぞ!!」といったような話が何度も出てくる。

でも、だからといって生活に近づけて授業をやろうと思っても、一方では「模試で成績取れ!入試に受からせろ!!」なんてことを圧力を受けているものだから、授業で入試対応の授業が喜ばれて、単元学習は忌み嫌われる。 

s-locarno.hatenablog.com

まあ、色々な方面から色々言われますよね、うん。

清水の本から20年くらい経ってから、石原氏の大学入試批判の本が流行するのだから、入試はそれほど変わっていないのでしょう。 

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

 

この本はちょうど自分が受験生になるころに出された本だから、国語の教員の誰もかれも異口同音に勧めてきたことを覚えている。

生徒だったころの自分は「ふーん…そんなものか」と思って読んでいた。

しかし、石原氏が次々と国語教育を非難(批判ではない)するような本を出版しているころには、立派な教育学部の学徒*2であったので、一連の本には色々と考えさせられたりげんなりさせられたりしたものである。 

中学入試国語のルール (講談社現代新書)

中学入試国語のルール (講談社現代新書)

 
打倒!センター試験の現代文 (ちくまプリマー新書)

打倒!センター試験の現代文 (ちくまプリマー新書)

 
秘伝 大学受験の国語力 (新潮選書)

秘伝 大学受験の国語力 (新潮選書)

 

これだけコケにされているのに嬉々としてこれらの本を勧める身近な(以下略)にもげんなりである。

入試問題はテクニックで解ける?

「国語が役に立たない、なぜなら入試問題がダメだから!」という意見は、学校の授業の国語と入試問題を同列に話されているので筋違いではある。

でも、だからといって「授業は大丈夫だけど、入試は悪い」なんて言っても仕方ないので、学校にいる人間としては、ウンウンとうなりながら授業をやるだけなのだが、入試問題についても少し書いておこう。

結論から言ってしまえば、「最終的に形を仕上げることには技術的なものも必要だけど、その前の段階にもっと愚直な読む力が必要だよね」と思っている。

国語教育の「汚点」のように語られることの一つとして「国語は文学を登場人物の心情ばっかり考えさせて、論理的に読むことをやっていないし道徳を押しつけている」なんてことがある。授業は……教員が頑張りますとしか言えない*3が、入試問題についても、そこまで「論理的ではない」とか「道徳を押しつけている」というのは言いすぎな気はする*4ので、少しだけ紹介しておこう。

センター試験を見てみる?

全部、まともに解説をやろうとしたらえらいことになるので、まあ、小説の問題を見てもらい、「論理を教えていない」とか「道徳だ!」というイメージでは語りきれないよとだけ示しておく。

問題文はこちらを参考。

www.asahi.com

見てもらえれば分かるが、もちろん、小説の試験であるので「場面設定の読み取り」や「人物像についての読み取り」や「心情の読解」はなくならないし、大部分を占めている。

しかし、各選択肢の内容や選択肢の組み立て方を見てもらうと、時間をかけて本文の根拠の個所と照らし合わせていけば、正答できるような出題にはなっている。

制限時間の短さなどの要素も影響するため、テクニックで効率よく解いていかないといけない面はあるんだけど、それでもテクニックだけで選択肢を絞ったり、本文を流し読みでは解くことは難しいだろう。

また、問6については「表現」についての選択問題であり、もはや道徳だとか心情とはまったく別の話でしょう?*5

ずいぶん雑な説明をしたので、ちゃんとどんなことが問題になっているか批判しているのかということについては、大学入試センターの以下の文章を読むと、少し分かってもらえると思う*6

www.dnc.ac.jp

国語教育だって変わっていくんだよ…

何を教えるのかという話は、その時々によって変わるのです。

今は、アクティブ・ラーニングだとかの流れもあって、プレゼンやリテラシーが重視される時代だけど、まあ、入試問題はそんなに変わっていないといわれても仕方ない部分はある。

そうなると、学校も周囲もそういったことを教えたくなるわけですから、中々、変われないことはあるのです。

でも、だからこそ、今回の大学入試改革が、まさに入試改革であることに、授業改革を強制されるような恐ろしさがあるのです。

今後どうなっていくか、イメージだけではなく、実際の現場の指導と入試問題の両方を見ていてください。

*1:ただし、入試問題と国語力が離れていることに対して批判意識はあるような気はする。清水は愛知教育大学の国語科出身ですし。

*2:事実とは一部異なります

*3:実際、どの程度、文学をやっているのかという実態は自分にはわからない。でも、教科書べったりで考えても、文学ばっかりということにはならないとは思うんだよなぁ…教材の数からしても。文学のほうがイメージに残りやすいということはあるかもしれないと思う一方で、「高校の時は一年間ずっと『こころ』をやっていました!」という意味不明な話を少なからず聞くので、一概にイメージが偏っているとも言えない気もする…

*4:石原千秋氏も『国語教科書の思想 』(ちくま新書)で「国語教育はひたすら道徳的な読みだけを鍛えてきた。(中略)そのために国語教育は、本当に文学を自由に読もうとした子供たちを「国語のできない子供」に仕立て上げてきた」と述べているように「国語は道徳で読みを教えていない」と思われている節はある。自分としては、この意見には到底納得できないので、反論しなければいけないと思っている。

*5:但し、毎年、表現の工夫の設問の正答率は3割程度と奮わない。その点では「心情ばっかり教えている」と言われても仕方ない?

*6:ただ、これを読むと、問6には「出題者がこう読ませたいと思っているのではないか」という批判がある(笑)例の選定間違った(笑)

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