ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

小論文の季節ですね ~テクニックに走る前に考えるべきこと~

すっかり入試シーズンが始まっているせいか、一生懸命、小論文を書いている生徒を行内でもチラホラ見かけるようになっています。

思えば、去年はさんざん色々な小論文を添削していたなぁと懐かしく思います。

今の仕事量を考えると、あんなに毎日、時間をとって話ができていたのはラッキーだったとも言えるし、今がちゃんと指導できない状況だと悔しがるべきか…。

去年の反省も踏まえて、今思うところを書いておこう。

小論文はテクニック?

入試の小論文については、模試があったりこの時期から予備校が集客に精を出したりしているので、テクニックとして語られることがあるんだけれども、本当にそうやって捉えていてよいのだろうか。

この問いに対しては人によってかなり意見が割れることだと思うのだけど、自分の立場としては、「基本的にはテクニックではないが、テクニックはあっていい」というものだら。

生徒の小論文を読んでいて最初に目に付くことは、どうしても「形式」の正しさや日本語の文法の正しさである。これはよく採点しにくいといわれる小論文でも、あっているあっていないがはっきりと分かることだから、直さなければいけないことであるし、ついその指摘ばかりに偏りがちになる。

確かに、段落の構成であるとか文法の正しさというものは指導しやすいし、成果についても数をこなすと比較的早く得やすい。

その意味だと、テクニックとまでは呼ばないとしても、書くことの技術として指導しやすいのだ。

でも、これをいくら指導したところで小論文を書けるようにはならないだろう。でも、テクニックとして正確にできることも大切です。

構成の方法を知るのはテクニック?

たとえば、こんな本がある。 

小論文入門―10日で小論文の基礎完成 (河合塾シリーズ)

小論文入門―10日で小論文の基礎完成 (河合塾シリーズ)

 

内容としては、10日で原稿用紙の使い方や論の構成の仕方などを、ドリルや模範解答と照らし合わせていけば、ある程度は理解できるというような内容の本である。テーマの選び方にも工夫があるが、テーマを考える以前の入試の小論文のルールのようなところを自習形式である程度学べるのはよい面だと思う。

実際、生徒の小論文を読むときにも最終的にはどんな順序で書いた方がいいかだとかどういうレトリックを使った方がいいのかというような話はする。実際、構成に対する意識が弱い生徒の文章は、せっかくよいものが書けていてもわかりにくくてもったいないと感じることはままある。

それだけに、自習形式でそのような点を勉強してもらえる参考書は教えるほうとしてもありがたい。

でも、「構成」について知っていることで、小論文が書けるようになるかというとやっぱり怪しい。テクニックとして身につけたとしても、どうもカルピスのように水で薄めた作文が出来上がってくる印象がある。

発想法を知るのはテクニック?

参考書ではないが、例えばこんな本がある。 

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

 

要するに、一つのテーマについて様々な視点から考えることや色々な要因を考える思考法なのだが、このような思考の方法を教えることも小論文には必要でしょう。

生徒の小論文を読んでいると切り口が甘く、一方的に何かを断罪するような小論文が出てきてドキリとすることも少なくない。

その意味で、様々な立場から考える訓練をすることは必要だし、普段からそういう練習をしていないと批判的に色々な角度から物事を考えるのは難しいだろう。

でも、発想法というのは訓練で幅は広がるけれども、テクニックとして知っていれば、次々とアイデアを出せるものだろうか。

たとえば、ブレーンストーミングだとかKJ法だとかあるけれども、やり方を知っているからといって、試験会場でそのテクニックって使えるの?

テーマについて覚えればいい?

たとえば、医療系は顕著だけど、こんな塩梅でテーマ別の小論文の参考書は少なからずある。 

 

医系小論文テーマ別課題文集―21世紀の医療 (駿台受験シリーズ)

医系小論文テーマ別課題文集―21世紀の医療 (駿台受験シリーズ)

 

 

良い悪いは置いておいて、小論文も一種の論文である以上は、学問的な知の蓄積と完全に無関係には成立しないだろうから、こうやってどんなテーマがどのように論じられているのかということを知るのは大切なことだといえる。

でも、このような知識って、切り売りされて、受け渡されて、自分のものとして論じることはできるのだろうか。知らないよりは知っていた方がいいけど、暗記して覚えて論じられるようになることなのかなあ?

読む人が読めば「付け焼刃」というのがはっきる分かってしまうような知識の活用の仕方は、かえって悪印象になりそうだけどね…。

その小論文、自分に向いてますか?

身もふたもないことを言うけど、その小論文を書く意味って本当にあるのかね?と言いたくなる生徒は少なくない。

分かりやすく言えば、「大してその学部で問題にしていることに興味がないのに、その学部に行くの?その学部に自己アピールするの?」ということである。

色々な事情があるのはよく分かるけれども、その入試の結果が受かっても落ちても幸せにならないよなぁ…と感じることは少なからずある。

いくら推薦などの枠が増えたからといっても、人気の大学の入試はやっぱり厳しいし、小論文の対策するよりも学力をちゃんとつけて入学した方が就職試験で一般教養が必要なことだとかを考えても、幸せになれるんじゃないの?と思うのです。

中途半端に対策した結果、不合格となったら精神的に立ち直れない方が多いと思うよ、うん。

テクニックに走るくらいなら

上に書いてあるようなことって、国語の中で十分に時間を取って書く練習をしていれば、やってくるようなことなんでしょうね。

形を整えたり、構成を考えたり、テーマについての知識を深めたり……どれも国語のお仕事です。

でも、これができないで慌てて教育産業を潤すという構造になっているのは、結構、情けないものである。

また、一方で、必要以上に入試の回数が多いことをチャンスチャンスと大人が煽るのはやめたほうがいいと思うのです。

人気の大学には、そこに至るだけの興味関心や意欲がなければ、チャンスなんて初めからない。チャンスがあるように見えて、好奇心の足りなさで足切りされていると思った方がいい。

だから、本当に自分がどうしてもやりたくて仕方ない学問であるなら、対策しなくても書くべきことはある。あとは、形を整えるテクニックがあれば最高である。

でも、書くべきこともないのに、テクニックで間に合わせるような小論文は、いくらやっても形になっても評価を得るのは難しい。楽しようという発想はやめたほうがいい。

だから、テクニックに走る前に、もう受験生になってしまっているならひたすら問題集と過去問に集中した方が受かるだろうし、もし、まだ、受験生でないというならば、今、目の前にあることに興味を持って、生きていく、一生懸命やっていくことが大切だろう。

「今日のニュースは?」と聞いて「台風が来る」という答えしか得られなかった指導力の教員のつぶやきである。

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