ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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ルーブリックを活用してみて

the rubric, scott richard

とりあえず、やってみないことにはルーブリックについても理解しきらないだろうということで、パフォーマンス課題を設定して作品を集めルーブリックを作り、授業で活用するという基本的な流れで授業してみました。

例のごとく、記録は残すけど世を憚ってあまり詳述できないのですが。

少し反則気味であるけど…

言い訳がましいものの、受験の季節であるので勤務校の場合、あまり傍から見て受験に関係ないような真似をしてしまうと、色々と損をするので入試問題を使って授業をすることに。

とはいえ、あまり彼らにとって切実にならないような課題では(お互いに)面白くないので、これまでの流れを考えて入試問題も選びました。小論文であれば必要とする生徒は一定数いるし、テーマの設定によっては三年間考えてきたことの延長戦にある。

まあ、卑怯な話をするのであれば、今回は校内向けに授業を公開したので、「受験と生徒主体の授業は両立するのですよー」という校内向けの意図もある。

単元の設計について

今回の授業はいくつかの入試問題をテーマで複数使ったものである。

イメージとしては以下の図の「パターン3」である。要するに「テーマ」について繰り返して理解を深めつつ、小論文を書くための技術をそれぞれの素材で学ぶという設計だ。

(図は西岡加名恵『「逆向き設計」で確かな学力を保障する』のP.12より引用)

最終的な狙いとしては、「自分自身の中に「よい」小論文の感覚をつかむこと」「自分なりの評価軸を持つ」ということを考えていた(一応、もう少し詳しく言語化して「本質的な問い」と「永続的な理解」の形に記述も書いていますが……まあ、世の中を憚りまして)。

一方で、三年間の総決算的なところがありまして、素材からイチから組み立てて、パフォーマンスに取り組み、最終的には自己評価まで行うという流れを生徒自身が自分のペースや責任でちゃんと前に進めて完成させてほしいという気持ちもある。要するに、「責任の移行モデル」の最後の段階である。

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

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何度か「個別学習」にチャレンジしてきたけど、やはり上手く行かない場合が多かった。まあ…その上手く行かなさも過程として織り込んでいるけれども、精神的にはきついし、この三年間の総決算の時期に何とか「個別学習」を実現したいという気持ちはある。

今回は導入の段階が「教師がガイドする学習」であり、最終的には、今日のまとめの段階では「個別学習」が実現できればいいなぁと思いつつ……。

手引きとルーブリックを渡したら

そんなわけで第一次から少しずつ素材を読み進め、テーマについての理解を深めて、パフォーマンス課題として小論文を書いてもらった。

その小論文を使って自分の方で特定課題ルーブリックを作成した。

そして、そのルーブリックを生徒に提示して、何かできないものか……と悩んでいたが、今回は生徒自身の振り返りと自己理解のために使おうと決断。

そう決めてから、学習の手引きも「自分でどんな小論文を書きたかったか」「他人と比べてみてどんな発見があるか」「ルーブリックとアンカー作品を見て何を気づくか」「どのような工夫が自分にならできそうか」ということを考えていくような活動ができるようなものにした。

今回の授業の肝は、この手引きとルーブリックを見て自分たち自身で「次に何をするのか」ということを考えて、自律的に学びを進めてくれるかどうか……である。

だから、今回の裏のテーマは「授業者は語らない」である。

さて、どうなるか。

ルーブリックのよさは感じる

とりあえず裏のテーマはともかく、手引きに沿って生徒たち自身で自分の作品と他人の作品とルーブリックの間を行ったり来たりすることで、自分たちの考えを深めていくという活動自体はちゃんと成立した。

お互いの作品を甘やかすことなく、率直に評価しつつ、一方で良さを認め合いながら、作品と向き合ってくれた。この辺りは今回の単元の設定云々でどうにかした話ではなく、三年間の積み重ねである。

最終的に「どうすればよかったか、どうしたいと思ったか」という方向性で振り返りを書いてもらったが、それぞれの生徒に気づきがあったようで、結構、好感触である。

特に、ルーブリックの記述について、実際の他者の作品に言及しながら、「こういうことなのか」という振り返りが多く見られたのがよかったなぁと思う。普段の振り返りとは質的に明らかに異なる。

生徒の作品を用いて、特定課題ルーブリックを作っていることもあって、実際にそのルーブリックに基づいて自分の作品が評価されていることにかなり納得感があったようだ。だからこそ、推敲のポイントも自覚化されたようだ。それに高評価の作者が近くにいるからこそ、自分も頑張れそうだという気持ちも持てたようだ。実際、ルーブリックを作り、生徒の作品を検証しなおし、さらにルーブリックを修正し、生徒の作品との整合性を考えて……ということを繰り返していたので、それなりに生徒のためのものになったかなぁ…と思う。

見学者からの感想としては…

今回は校内向けに授業を公開した。

何人かの先生が見学に来てくれたこともあり(本校はルーブリックを使う使わないと揉めている)、色々と感想をいただいた。

多くの感想としては

  • 生徒の間に信頼・安心(ラポールが出来ている)があるから意見交流が率直に行われている
  • 想定していたレベルよりも文章の内容が書けているし、何度も書き直そうとしているのが新鮮に見える
  • ルーブリックって生徒の作品を見て作るものなのか。それってすごく大変じゃないの!?

というようなことであった。

一つ目、二つ目については、三年間の積み重ねである。稚拙であっても身体感覚として身につくまで繰り返してきたことだから自然にできることなのである。彼らの苦労の成果である。

問題は三番で、ルーブリックが「教員が勝手に評価したいことを決めるもの」のように理解されているんだなぁ……ということに焦りがある。それもそうか、上意下達に「ルーブリックってこういうものです」としかまだ紹介されていない。チェックリストに見えるのでしょうね……。

手間の問題は結構大きい。しかし、やってみると分かるが微に入り細を穿つような添削をするよりも、何度も生徒の作品を見取り、読み取ったものを言語化する…という往還を繰り返すので意外と手早くできる。

まあ、手間はかかるのはもちろんだけど、自分自身の見取りの力を鍛えるには必要な過程かなあ。それにたぶん、ルーブリックづくりに関わる人間が増えたほうが手間は減る。手間は減るのに基準は統一されるだろうから、授業の底上げにはなりそうな気がする。

さて、自分の反省は……

そんな授業であったわけだが、さて自分の反省だが……。

一言で言えば「せっかく手引き作ったのにでしゃばりすぎ」である。

生徒が自分で進めているのに、自分が時間管理やらなんやらで生徒に声をかけすぎである。もっと大胆に放っておいても彼らはやったよ……。

どうしても気になって、時間を声かけたりアドバイスしたり……うーん……。我慢できないでやらせていないことは、結局、生徒自身もできるようになっていない気がする。

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