今週のお題「テスト」
お題に応えるわけではないけど、アクティブラーニング的なことをしていると「テストどうするの?」とよく言われる。
そんなこともあるので少しだけ考査についてのこだわりを書いておこうと思う。
授業で教えたことなんて答えさせない
過去にアメトーークで「勉強大好き芸人」が勉強のコツを話していた。
そこで「授業は試験の答えを聞く場」だという意見があったのだけど、これを聞いて自分が思ったことは「授業で教えたことなんて考査に出さないよ?」だ。
誤解して欲しくないのだけど、決して授業を無駄にしているということではない。
むしろ授業を活かすために授業で教えたことを覚えさせて答えさせるようなつまらないことはやらない。考査も授業日数の一日であることを思えば、ある意味で考査も勉強の、単元の一環であって、生徒がある特定の知識の凝り固まってきたところに、視点を変えさせるための一手段だ。
普段が自由に読ませて自由に考えさせているだけに、強制的に50分間授業者の思う方向に読ませざるを得ないのだから、普段、教えられないようなことを教えたいと思って問題を作っている。
だから、授業で答えを教えるような真似もしないし、考査のための勉強をさせないような問題を作りたいと思っている。
授業で教えたことで答えて欲しい
授業で教えたことそのものを答えさせるような一問一答のような授業は一切する気はないのだけど、授業ではきちんと必要なことを教えているから教えたことが定着しているかをきちんと試そうと思っている。
国語の試験というと、先生の教えた解釈を覚えてきて、それを答案に書くみたいなことを思っている人は少なからずいるが、そんな無駄なことをやらせたくはないのだ。つまり、授業で教えていることは「読むための方略」であったりテーマについての背景であったり、その文章以外の文章でもきちんと読めるような力を授業では教えたい。
だからテストについても初めて読む文章を出すようにして、自分がこれまで考えてきたことで伸ばしたはずの力を試すようにしている。まあ結果は……上手くいかないものですね。
それでも自分の姿勢として「国語は暗記科目ではない」ということを生徒に伝えたいのだ。
一喜一憂
考査に生徒は一喜一憂する。自分は授業の一環として考えているから点数くらいどうでもいいからちゃんと自分の意図をわかってほしい……とは思うけど、自分も毎回平均点が低いと悲しくなる。
ま、上手くいかないものです。