週刊東洋経済 2017年7/29号 [雑誌](大学入試改革で激変 これから伸びる中学・高校)
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2017/07/24
- メディア: 雑誌
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世の中の人々が好き勝手に教育についていうのは別に構わないと思っているのだけど*1、久々にうんざりとした気持ちになった特集号だった。
ぜひ、ビジネス雑誌とは普段は縁のない学校のセンセイほど読んでもらいたいところだ。どれだけ世の中と自分たちの考えがズレているかよく分かる。
大義名分よりも目の前の本音
世の中の人々に教育の理念だとか理想だとかを講釈垂れて、理想を押しつけるのは無粋というか押し付けがましいというか、こちら側の事情について深いところまで理解してもらおうとは思わない。
とはいえ、東大への合格数だとか有名大学への進学率だとかそんなつまらないもののために授業しているつもりはない教員にとっては*2、合格実績だけを強調して「伸びる学校」だとか「実力のある学校」だとか騒ぎ立てられるのは面白いものではない。
まあ、仕方ないことではあるので、それについて正面切って議論する気持ちもない。そういうニーズもあるのだと、淡々と受け止めつつ、圧倒的に多いはずの「大学以外」に進学する子どもたちのために必要なことや子どもたちが社会の中で文字通り「生きていくこと」に困らないように教育するだけである。大学に行きたい、志望校に合格したい、そういう気持ちの子どものニーズに応えつつも、それ以上に重要なことがあるはずだという矜持をもって日々授業するしかないのである。
そんな諦めというか線引きをして仕事をしているとはいえ、改めてこうやって市場原理に元の言わせた記事を目にすると気持ち的には落ち込む。世間と自分の考えていることが非常に遠いことに悲しくなるし、自分がやっていることがエゴなのではないかと自身もなくなってくる。
雑なアクティブラーニング議論…
別にアクティブラーニングだろうと主体的で対話的な深い学びだろうと呼び名はどうであれ、自分が意味があると思える授業ができるのであればいいと割り切っているのだけど、こうやって親世代がもろに影響を受けるだろう雑誌で「これがよいアクティブラーニング」みたいなことをいい加減に宣伝されると何ともいえない気分になる。
別に方法論は学校の教育方針があるから好きにやってくれればいいんだけど、問題なのは「難関大学に受かるから本物のアクティブラーニング」みたいな煽り方をされることが厄介だと感じる。
何のためのアクティブラーニングなのか。学校の宣伝のための手段か。今までアクティブラーニングなんて言っていないかったのに、ここの来ていきなりアクティブラーニングと銘打って宣伝しているところとみると、特に今までと何も変わらない授業を再生産するだけの授業で、被害を受けるのは誰か。そんなことを考えると気が重いのである。
大きなお世話と言えばそれまでなんだけどね…。
何よりもキツイことが
この手の記事を見て、何よりもキツイことは、こういう記事に少なくない教員が、親以上に振り回されるんだろうなぁ…ということが分かってしまうことだ。
そして看板だけアクティブラーニングやグローバルやICTを掲げるだけで、理念も理想も何もなく、内実は今までのことを繰り返すだけ。本当に不誠実だ。
こうやって文句を垂れることしかできない自分は情けないところだけど。