ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

今年も大妻嵐山の公開研究会へ行ってきました

nature's painting

予告通り、去年に引き続き大妻嵐山の研究会へと行ってきました。

www.otsuma-ranzan.ed.jp

昨年度と比較して確実に進歩しているのだなぁと感じる点が多々ありました。

www.s-locarno.com

こういう時にブログを書いていると思い出せていいですね。

アクティブラーニングのその先へと

去年のブログにも書いたが、大妻嵐山という学校は少子化で生徒数を減らしてはいるものの、基本的には大きな学校法人の中の一つの学校であり、基本的に教え込み型の受験学力に需要のある埼玉という地域において、わざわざここまで大規模にアクティブラーニングに舵を切るようなリスクを取らなくてもよい学校であったように思う。

しかし、それでも校長の真下校長の強力なリーダーシップによって、思い切った大改革に2016年から取り組んでいるのだ。

重要なことは、別に世の中の流行に迎合してアクティブラーニングに取り組んでいるのではなく、自分たちの学校の生徒の特質や弱点と向き合った時に、こういうことをちゃんと教えたいという思いから、一番よい方法を模索した結果として、アクティブラーニングへと全面的に移行したということである。

その意気込みは真下校長の挨拶の文章の随所に現れている。例えば

本校の生徒たちは「教員の指示に従い、与えられたことにコツコツ取り組み、丁寧にノートを取る」真面目な学習スタイルを持っています。しかし、この学びのスタイルだけでは学ぶことの面白さまで到達できていないのではないか、「自ら取りに行く能動的な学び」に変えることが生徒たちの力のさらなる伸長につながると考えたことから始まりました。

(当日配布資料のP.3より)

と述べられています。

これも、校長自身が赴任以来、授業を実際に見て回り、考えた結果だというのですから、教育への強い情熱を感じます。

今年のテーマは、研究会のサブタイトルが「アクティブラーニングの取り組みと成果、そしてその先へ」となっているように、「アクティブラーニングをとりあえず全面的にやる」ということを乗り越えて、「何のためにやるのか」「何を目指すのか」ということを目指したものとなっている。

3年がかりで定期的に研修をしてきたというだけあって、教員の意識も相当変化してきているように見える。例えば、当日配布資料のなかに「研修会振り返りのまとめ」というものが掲載されている*1が、そこの教員のコメントを見るとどのようなことを身につけてもらうのか、ということに関するコメントが非常に多い。アクティブラーニングの手法のその先へと意識が行っているのだろう。

配布資料の中では「アクティブラーニングをそれだけで語る時代は終わった」と明確に述べているのも、学校としての強い矜持の表れと感じます。

国語の授業は……

他の教科を見るのも面白いのですが、まあ、新しい取り組みだからこそ自分の教科をみようと思い、国語の授業を色々と見学してみました。

個別の授業について言及するのは避けます。一人でいくつも回ってみていたので、きちんと詳細に見られていないので、それで断ずるのも変な話でしょう。

全体的な印象や思ったことを書いておきます。

普通の授業の中での悪戦苦闘

失礼千万な物言いになりますが、今回見学させていただいた授業について言えば、バリバリの最先端の作り込まれた授業……では全然なくて、普通の教員の普通の日の普通の授業です。

アクティブラーニングに力を入れて、ずっと研修もしながら取り組んできており、公開研究会までするのだからよほど高度な授業なのだろうと思う人は多いのかもしれないが、決してそういう訳ではない。大学附属の学校の異常なまでの作り込まれた授業をイメージしてしまうと肩透かしになるかもしれない。

しかし、普通だからこそ見る価値があるのである。全面的にすべての時間が子ども任せで上手く行く授業というわけではなく、普通の一般的な講義をやりながら、要所要所に基本的なアクティブラーニングの技法を取り入れてみて、生徒の理解の促進や外化を実現している。

教えるべきことは教えているし、アクティブラーニングをするための時間を取るために授業の内容などをかなり考えながらやりくりしているようにも見える。

普通の学校でも時間をかけて準備さえできれば、ちゃんとこういうレベルにまでたどり着くのだという姿のように思います。職場で、やる前からネガティブにできない理由を数え上がる人の多さにうんざりとしていますが、そういう人にこそ見て欲しい。

もちろん、かなり苦労している部分も見える。生徒が教員の意図したとおりに動かなかったり、活動の質が高まらないでいたりと、公開授業というのに結構やらかしている部分も見える。

それでも何とかリカバリーして意味のある授業を成立させていく姿に心強さを感じる。

目標と技法と評価と……

悪戦苦闘しているのが分かるので言いにくいところだけど、もう少し厳しく、授業としての構造を見てみると、まだまだ改善の余地が大きいように思う。

仕方ないことなのだろうが、どうしても「アクティブラーニングをする」ということが先に立っているせいか、狙いや意図の見えにくい活動が散見するように感じられた。もっと色々と生徒の実態や目標を精査すれば、別の方法があるだろうなぁと感じさせられるのである。

また、協働的な活動の技法については、やや教員の理解が不足している感は否めない。

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先に「型」から入っているのではないか、その原理などについて十分に検討したのだろうか、やや躓きがあるのではないかと思う。

しかし、これは授業観を転換し、新しいものを学ぶにおいては必然的な悪戦苦闘なのではないだろうか。まずは、形から入り、自分が体感してみることで良さや物足りなさを考え、そこから原理に戻っていき、やっと自分の授業として飲み込めるのではないか。

こういう粗探しみたいなことを言っていますが、粗探しさせないようなチャレンジのない授業の方が、よほど質が悪いと思っていますよ。

この辺りは去年感じたことと大きく変わっていない。

国語科教育の実践史のなかによい実践は多くあるのだけどなぁ……そこまで自分が偉そうに言うことでもないか。

何を目指すのか

これは教科の意見交流会を聞いていて思ったことだが、教科として「何を目指すか」「どういう国語力を育てたいか」ということについては、明確なイメージが作り切れていないように思えた。もちろん、簡単な話ではない。

ただ、目の前の知識の定着や本文の理解に議論が終始しやすい、授業を見学する側もそういう点にばかり意識が行ってしまっている。なかなか授業を超えて、その先へという視点を持つことは難しいものである。

溝上慎一先生の講演もありました

去年は中原淳先生が基調講演していましたが、今年は溝上慎一先生が基調講演をしていました。

話されている内容としては、ほぼ以下の2冊の内容です。

大学生白書2018 ーいまの大学教育では学生を変えられないー

大学生白書2018 ーいまの大学教育では学生を変えられないー

 

講演の内容はともかくとして、溝上先生の姿勢にちょっとした変化があるように思われたのです。

ご存じの通り、溝上先生は京都大学から桐蔭へと異動されましたが、そのこともあってか、理論やデータという話よりも授業についての話が非常に多かったです。

特に印象的なのが、今日の公開授業の様子についてきちんと見学され、わずかな時間に分析をされて、その内容について基調講演でお話されていました。

その分析の視点や語り口が非常に実践者に寄り添っているように感じました。何というか、授業で起きている現象を非常に丁寧に見られている。もともとちゃんと見られているのは当たり前でしょうけど、何でしょう、授業者のやりたいことを通して子どもたちを見ているというか……うーん、なんだろう、上手く言えない。

講演で冗談めかしてこぼしてましたが、「大学じゃ変わらないから、大学で教えている場合じゃないんです」という内容のコメントに、中等教育を教えている立場としては頑張らなければなぁとぼんやりと思ったりしました。

決めたことを学校として徹底する

大妻嵐山を好意的に見えるのは、アクティブラーニングをやっているからではない。むしろ授業としては物申したいことが山ほどあるくらいなので、決して授業がいいとは思っていない。

そうであるにも関わらず、よさを感じている理由は、「学校として芯が通っている」うえに、子どもや保護者に対してきちんと責任を果たしているという点に尽きる。

学校としてビジョンを掲げることは簡単じゃない。

学校目標やら教育目標やら学校は目標を掲げることは得意だ。それは中身がなくてスカスカしているから掲げることにエネルギーを使わないから軽々しく持ち上げられるのである。

でも、意味のある、本当に達成したビジョンや目標を掲げることは簡単なことではない。学校として意思統一がよほどうまくやらないとできない。教員は生徒に集団行動させるわりには自分の働き方に口出しされるのを嫌う。だから、学校としての目標を掲げ、全員が同じ方向を目指して授業するって相当に難しいことである。……そもそも一般企業でそんなわがままありなの?って思うこともしばしば。

しかし、大妻嵐山は校長の強いリーダーシップとガバナンスで、全教員が肚の中でどのように思っているかはさておき、全員が研修に取りくみ、授業を公開しているのである。それだけでも非常に莫大なエネルギーをかけている。そのことに対しては敬意しかない。

また、ステークホルダーである子どもと保護者に対しても、自分たちがどのような教育をやりたいかということをきちんと説明し、オープンにしていることが非常によいことだとおもう。

なんと、今日の全体会であるが、生徒が司会をして、保護者も参加しているのである。学校の教育活動についての説明会すらろくに開かない学校が多いのに、このような研究会に保護者や生徒の参加を積極的に促しているということは、非常に大きな衝撃を受けた。

うーん……やっていることやその行動原理はとてもシンプルだ。

でも、それが出来ない現実やしがらみ、そしてそれを言い訳に現状維持に甘んじている自分の立場を色々と思うのである。

*1:そもそもよく考えると、こういう自校の手の内をさらすような資料をさらしていくこと自体が、私学からすれば異例に思える。

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