考査まで時間が短くなってきたなぁと感じる今日この頃、日暮れも早くなって日々に追われているような気がします。
考査が近づくとどうしても授業の中でクラス間のバランスを取りながら、ある程度のゴールを揃えないといけないので、そのバランスのとり方が難しい。どうしても一斉の講義で授業をしているわけではないので、一時間の有無がとても重い。どうやってバランスをとったものかと悩ましい。
ゴールを設定しないで走り出し…
今の単元は無謀といわれるかもしれませんが、これまでのまとめであるということやきちんと生徒の今の現状を見取りたいと思っているので、自分のほうからゴールを設定して始めていません。当たり前ながら、すべてのクラスで能力はバラバラなので、同じ時間を掛けてもたどり着けるレベルはまちまちだろうなと感じている。
果たしてその「まちまち」であることをどう捉えたらいいか悩ましいところである。同じ基準で評定を出さなければいけないという都合がある以上、授業自体は同じところまできちんとたどり着かせなければいけないのではないかという強迫観念がある一方で、そもそも能力や興味関心が異なる集団を無理矢理同じゴールへと走らせることは、完全に優劣をつけるためのレースにしか思えない気分がしている。
その気分が災いして、自分の中の結論としては「全クラスで違う指導の仕方をする」けど「到達できること、できるようになることは同じ水準で揃えよう」ということにした。
いや、冷静に考えて無謀なんです。やる前からわかっていたよ。
でも、「こういうことができるようになってほしい」という発想から今の素材を使っていくと、全クラスでバラバラの支援のしかたを、一人ひとり異なる支援の仕方をしなければいけないと、どうしても譲れない気分であったのです。
結果的に、全6クラスで同じ素材を使いながら全部で違う授業に……毎回、ノートを回収して毎回異なる方法を考えるという、なかなか力業なことをやっている。
たぶん、二度とやりません
自分でもわかっているけど、なかなか無茶をしている。どんなに気を張っていても、授業準備に濃淡が出てしまうことは感じるし、そもそも一つ一つの授業のクオリティが怪しい。
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「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
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を今回の単元に入る前に読んでいれば、もっと別のやりかたができたなと思います。
自分のやりたかったことは、まさに「学びの責任」をどうコントロールして、単元の最後に生徒一人ひとりにきちんと学びの責任を手渡すことができるということだ。
どうしても、今のあり方だと自分でコントロールしている感じが強い。その割に生徒からすれば渡された課題を場当たり的にやっている感じになっているよなぁ……。
学級というまとまり、複数クラスでバランスを取る、締め切りもある……色々と行き詰った感じはあります。