珍しく担任としての話。他人もしているんです、一応。
基本的には放置なんですが、提出物や模擬試験の受験などの細かいことに五月蝿い性格をしているので生徒には迷惑なタイプの担任です。
まあ、高校生だし自分の手のひらの上で躍らせていてはダメよねと思っています。
面談をしていると
なんやかんやと一か月半に1度くらいのペースで面談しています。まあ、無駄話と進路の選択で勝手なことをしださないかという確認ですが。
勝手なことなんて言うと聞こえが悪いけど、どこで聞いたのか分からないようなデマに踊らされていたり、考えなしに高い講座をいくつも買わされていたりしていないかという確認。これだけ不安が煽られる時代なので、情報の判断が上手くできないままに損をしていることも多いのです。
色々と考えて、生徒自身が上手く決断できていないと、たいていの場合は空中分解してしまってろくなことにならないのですが、流されるままで時間とお金ばかりを無駄にしている……なんてことにならないように。
まあ、結果的にそうなると口うるさい面談になっている気もするけど。これはたぶん前職のせいでもあり成果でもある。情報でバッサリと。共感も妥協もないから意地悪だろうな。
まあ、そんな面談をしていると、こういう時期なので生徒もいよいよ進路に悩みだすのである。
去年からちゃんとやっていれば……というのは大人の視点で、いつだって子どもは真剣に考えて行方不明である。仕方ないので今からだって考え直すのである。
しかし、面談して気になるのが、「自分はぜんぜんやりたいこととか学部とかわからないんです」といって悩んでいる生徒が多いことだ。
え?そんなにそれって悩まなければいけないことなの?
やりたいことから大学を選べというプレッシャー
こういう時代のせいか、どうしても色々なところから「やりたいことから大学や学部を選べ」ということを何度も聞かされている。
そのおかげで「自分は全然、進路について考えていない」という悩みを持つ生徒が多発するし、一方で「自分は〇〇をやりたいです」と言いながら、大学の勉強で必要な科目をやっていない(経済学部行きたいのに数学は選択しないとかね)ようなちぐはぐさもあり……。
どうもイメージが先行してしまって、上滑りしているような印象をぬぐえない。
学部研究だとか大学研究だとかいっても、別に大学のホームページを眺めたり学部の1、2年生に大学の話を聞いたりする程度のことくらいしか、このくらいの時期までにはできていない人のほうが多い。オープンキャンパスだって大抵の場合はよそ行きの講座だから外れてなくても、日々の淡々と進む勉強とは離れているし。
個人的には特に大学生の学問紹介は誤解の方が多いからやめてくれ……とも思うんだ。生徒の満足度は高いのだけど、例えば今年聞いてものでは「教育学部はコミュニケーションの勉強をします」とか。誤解を招きそうな上滑りなこと平気でいわれてしまい、そのあとに生徒の勘違いがあればフォローが必要になったり……ああ、徒労。
話がだいぶ逸れましたが、「好きなことややりたいことから学部を選べ」と簡単にいうけど、ちゃんと「やりたいこと」と「やれること」が一致しているかどうかの判断が結局入学するまでよく分からないわけです。
そんな博打のような「自分はこれに向いている!」ということが見つからないからと言って、必要以上に悩む必要があるのかなぁ……と何度も「何をしたいか分からない」と聞かされるたびに思うのです。
気楽に構えてはどうですか?ただし、勉強はして。
まあ、文系と理系の受験で事情はかなり異なるので、簡単に割り切ることは難しい。
文系の場合は、たぶん、あまり専門を細かく絞り込みすぎると上手くいかないんだろうと思う。外から見えることとやっていることの差も大きいし、勉強したことが増えるともっとやりたいことがザラに出てくるものですし。
本気で専門性と言い出したら学部じゃ不十分だし、専門性で学部を選ぶのは、専門の勉強もしていない普通の高校生には適性があるかどうかの判断もとても難しい。
判断を先送りにしようとして最近はやりのなんちゃらアーツ学部なんて選んでみても、……まあ、上手くいかないことが多いと経験則的に感じるところです。
入試の都合で併願だってたくさんする。そうなってくると、どこに入るかなんて最後の最後まで分からないものです。
運よく選ばれたときに縁があったと思えばいいんじゃないでしょうか。
ただ、そういう余裕をもって進路を決めるには、科目を減らしたらダメですね。ちゃんと高校レベルのことをちゃんと丁寧にやっておくことで、縁のあった世界で何も不自由することなく、スタートできると思うのですが、そう単純なものでもないのですかね。