土曜日だというのにこんな時間までお仕事である。
無駄の多いところを学校と呼ぶのであれば、仕方ないと思えるのだけど、別に学校の定義に無駄の多さを盛り込む意味がないだろうなと…。
生産性を上げて生活していきたいところである。
たぶん、教員が手を出さない方が…
色々と言いたいことはあるけど、具体的に書くことは出来ないのでもどかしいところであるけど、コストカットしようとして却ってコストがかかっているようなことが学校のあるあるである。
単純計算で、学外にアウトプットしてしまったほうが人件費としても安いはずなんだけど……。「学校の事情が分からないから任せられない」と、言っていたらいつまで経っても仕事は減らせないのです。
教員のよくないところは、自分にしかできないと思い込んで仕事をしすぎなところなのだと思うのである。自戒を込めて(といえば許されると思っている)言えば、教員は人に仕事を振るのが下手だ。丸投げしすぎるか丸抱えしてしまうか……。
でも、自戒を込めて言っておく(と言えば以下略)と、授業も担任も別に自分でなくても代わりはいるし、それで学校は回りますからね。むしろ、生徒に「この人じゃなきゃいやだ」なんて言わせるなんて、生徒の対人関係をヘタクソにさせるだけですし。
たぶん、適当に「事情が…」なんて言わないで、適当なところでアウトソーシングしたほうがいいのです。
生産性を上げるために…
生産性を上げるためのテクニックは色々と紹介されている。お手軽なものなら
を読むだけでも結構、生産性に鈍感な教員には刺激的なのではないかと思う。
しかし、こうして周囲の人々に本を薦めたところで、実際に行動に移して本を読もうという人はほとんどいない。
「忙しくて読んでいる暇がない」
まあ、そりゃあそうですよね。新しい学習指導要領すら読まないのですから(毒)。
しかし、1%でも生産性が向上したら、単利計算だって何もしないよりもだいぶマシな数字になる。
たぶん、年間というスパンで考えれば、勉強時間からのリターンは大きいはず。そりゃあ、ただでさえ忙しい時に、読書の時間、そして技能の習得の時間をとるというのは厳しいでしょうけど……。
まずは休みましょう…ね?
根本的に、自分の時間を持てないことが悪なのです。
だから、自分じゃない誰かに任せて、しっかり自分のことを優先していいんじゃないかなと、訴えかけたいのです。