考査と保護者会を同時に企画した人、本当、呪われてほしい今日この頃。青息吐息で生活しています。ブログの更新が途切れたら過労死したと思ってください。
さて、そろそろ定番化した挨拶をこの辺りで切り上げて本題。
作問をしていると、授業の評価について色々と思うのです。
考査を回避できない
極端なことを言えば、ペーパーテストで考査をやる必要が全くない。それこそ、パフォーマンス評価だとかポートフォリオ評価だとか流行っているのだから、生徒の評定を出すためだけに定期考査にこだわり続ける意味はない。

新しい教育評価入門 -- 人を育てる評価のために (有斐閣コンパクト)
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あまり元気がないので定期考査について自分で調べる気力もないので愚痴で終わらせておきますが、ペーパーテストと客観的で公平だって見なすのもどうなのよと思うわけである。
まあ、そういうことを言い出すと、入試改革のぐちゃぐちゃとしたところに足を突っ込むことになるので、今はそんな元気がない。
でも、考査ってそんなに評価として役に立っているかって疑問なんですよ。
自分と異なる担当が考査問題を作れば当然平均点が変わるのだけど、その差を無視して「お前のところは平均点が低いから評定低くしろ」と言われたのが非常に釈然としていないのである。平均点悪いのは確かに問題あるんだけど、その代わりに色々なデータを揃えて評定をつけているのに、たかだか考査の点数ごときで(暴論)生徒への「評価」を他人にひっくり返させたのは本当に不服である。
一体、自分は何を作問しているのか。生徒のご機嫌をよくするような簡単な問題でも作っていればいいのか。
評価されたいように評価されること
自分が思うに、本当に生徒を伸ばすための評価とは、評価される側がされたい基準で評価されることだろうと思う。規準は授業者が握るとしても基準は評価される側が選んでよいのではないか。
最近、Facebookでこんな記事を教えてもらった。
金沢大学高大接続ラウンドテーブル « 今日の!昨日の?和気閑谷高等学校
「金沢大学高大接続ラウンドテーブル-〈探究〉と〈研究〉を結ぶ入試をデザインする-」というテーマで、高校生が「大学入試」についてのデザインの議論に参加していることがとても面白い。
こういう試みで思い出すのが、やはりミネソタニューカントリースクールのプロジェクトベース学習。

プロジェクト・ベース学習で育つ子どもたち―日米18人の学びの履歴
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プロジェクトの計画の時点で、どのように評価されたいかということを企画するし、その軸に沿って内外の大人によって評価委員会という形できちんと評価される。
考査のような学校の中だけのイベントのような評価じゃ、そりゃあ、社会につながりませんよねって思う……こう毒を吐いているのは作問にそろそろうんざりしているからなので、本気にしないでね。本気で言っているけど。
ああ…8割が嘘で固められた考査(五択問題なので)を作っていると、自分が嘘つきなのであると気づいてしまうのでした。