ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

【書評】よりよい学び方のために『Learn Better』

learning

面白い本が翻訳されました。

Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ

Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ

 
Learn Better: Mastering the Skills for Success in Life, Business, and School, or, How to Become an Expert in Just About Anything

Learn Better: Mastering the Skills for Success in Life, Business, and School, or, How to Become an Expert in Just About Anything

 

英治出版といえばセンゲの『学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』や『ティール組織 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』などの「知る人ぞ知る」という良書をたくさん翻訳出版してくれている会社です。

この本もさすがというべきか、非常に面白い一冊でした。

「学習の仕方がわからない」に答える

本書のプロローグは、筆者自身の苦い学習者としての経験談から始まる。

今振り返ると、どうやら私は学習のしかたがわからなかったらしい。自分の思考をどう扱っていいかがわからなかった。自問したり、目標を設定したりすることができず、そもそも何かを知るということの意味からしてわかっていなかった。学習する能力は自分にはとうてい手の届かないものに思われ、そのために、スクールカウンセラーの評価に書かれていたように「途方に暮れて」いたのだ。(105)

教員をやっているのでこの手の話を「よくあること」と言ってしまうと、申し訳ないのだけど、決して珍しい話ではない。授業で「学び方」について指導しきれていないという感覚もよく分かる。

だからこそ、本書では逆に「学習の方法がわかれば習得の度合いと効果は大きく上がる」(158)ということを主張するのである。

そして、「こと学習に関しては、研究による裏づけのない思い込みが多々まかりとおっている」(181)と述べるように、本書で述べられる方法論は、巻末に膨大な研究論文の参考文献一覧があるように、さまざまな研究を参照しながら考えられているものである。今年話題になったジョン・ハッティも引用されていたり。

教育の効果: メタ分析による学力に影響を与える要因の効果の可視化

教育の効果: メタ分析による学力に影響を与える要因の効果の可視化

 

そうしてまとめられた観点が以下の6点である。

  1. 価値を見いだす
  2. 目標を設定する
  3. 能力を伸ばす
  4. 発展させる
  5. 関係づける
  6. 再考する

この見出しを見たときに思い出したのが『ディープ・アクティブ・ラーニング』の内容だ。

ディープ・アクティブラーニング

ディープ・アクティブラーニング

 

当ブログでも何度も紹介していますが、本書で述べられている「深いアプローチ」の視点に重なるのです。

「深いアプローチ」

これまで持っていた知識や経験に考えを関連付けること

パターンや重要な原理を探すこと

根拠を持ち、それを結論に関連付けること

論理や議論を注意深く、批判的に検討すること

学びながら成長していることを自覚的に理解すること

コース内容に積極的に関心を持つこと (P.45)

 

内容をきちんと確かめれば確かめるほどはっきりと分かりますが、内容として重複することが非常に多いです。学習へのアプローチについて、授業者が自覚的になれなければいけないことを考えさせられます。

印象的な言葉

学習とは頭を働かせる「活動」という面が強く、積極的に関与するほど学びも深まるということだ。(354)

自分事として学習に「関与」すれば、学びが深まるというのは実感としてもあたりまえなのだけど、どうしても授業は時間割で進むのでこの「積極的な関与」が難しくなるように思う。授業で扱うべき課題を「真正の課題」と呼ばれるようなものにしていくべきなのですよね。それが難しいのだけど。

特にこのあたりの話は、本書の一番目に「価値を見い出す」ということが来ていることにも関連しているように思う。結局は、学習者自身が今、取り組むべきことに「価値」を理解して、もっとおおげさにいうのであれば「使命」を見出して関与することが望ましいということに尽きる。

こと学習に関しては、意味のほうで私たちを見つけてくれるわけではない。意味を私たちが自分で発見しなければならない。(441)

「意味のほうで私たちを見つけてくれるわけではない」という言葉はなかなか厳しい。授業者としては、この「意味」を生徒に渡すことができるようなものなのだろうかということも考えなければいけない。

何百人もの学生が受け身で講義を聴いている。「聞いていれば理解するだろう」というアプローチに効果がないことを示す研究は山ほどある。最近のある調査によれば、従来の講義式授業をとっている学生が単位を落とす確率は五〇パーセント以上だという。従来の講義式授業は「良心的でない」の一言に尽きると思う、と私に語ったノーベル賞受賞者もいた。(314)

良い講義だろうと、学習者本人にその気がなければ、あまり意味はない。選んでそこにいるならばよいのだろうけど、なかなか自分自身が自分の学びを選んで、責任をもって関与しているという感覚は持ちにくいことが多いのだろう。

本書でも注意書きされているが、別に知識を軽視する話ではない。むしろ、知識を意味のある形で身につけるための議論が本書である。単純な知識の、使えない形での単なる暗記、その先に進むために何が必要なのかという議論なのである。

何を目的に、何を教えるのかということ、そのこと自体の問いにいつでも戻ってくるのです。

個人的には、あまりに授業で扱われることが、教えたいこと、自分が好きなことに偏りすぎているように見える。一斉講義かグループ活動かなんて話も教員本位の好みでの議論があまりに多すぎる。

授業に限らず、学び方を考えたい人へ

話がそれましたが、本書は別に学校の授業に限った話ではありません。そもそもどのように学ぶのが効果的なのかという話なので、「ちょっと自分の勉強が滞っているなぁ…」とか「どうしたらもっとよく理解でき、身につけられるだろうか」とか、そういう悩みを抱えている人にお勧めできる一冊です。

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