色々とあって行き詰りです。思うところは色々あるが……。
歯切れ悪くとりとめもなく適当に……言葉にできないことは多い。
成績に振り回される
模擬試験やら定期考査やらで生徒の学力について「客観的な」指標で経年観察している。まあ、一応、そういうお仕事の学校なので。
何だかよく分からないがとにかくBenesseとの相性が悪い。ひたすら悪い。ただ、他の大手予備校(KとかS)とかの成績推移はむしろよいくらいなのだが……しかし、ベネッセに振り回されるのである。個人的には合格判定ならむしろベネッセよりも予備校のほうが……と思うのだが。
まあ、個人的に授業や補習で大学の過去問をやらせているが、そちらの成績状況については自分が教えている学年間の比較では変化が見られない。だから、あまり心配しすぎて振り回されるのもバカバカしいのだけどね。とにかくBenesse絡みの模試だけが出来が悪い。
自分の教えているクラスと教えていないクラスの比較などもやったりしますが……まあ、それも例年の傾向と変わっていないなぁと。
あまり模試の偏差値で教育の成果を測るのもバカバカしいのですが、とりあえず、例年並みの偏差値保証は出来ているので、三年間、ほとんど生徒に「委ねて」授業してきても大丈夫だったよーくらいには言えるかな。無策に丸投げしたのではないので、勝手にやらせると周りに思われると危ういのだけど。
ただ、例年通りの偏差値だと世の中の状況からすると結構危ないのだよね……。不条理な制度にかち合ってしまった。跳ね返すためには……と思っているが、その部分が弱いのでどうしたものか……。
三年間、よく読み、話し、聞き、書きとやってきたので、そういう能力は誰もがそれなりに底上げされている。前回の周りよりはるかによいと思うのである。ただ、それだけで自己満足していられないのでなかなか気が晴れないものである。
問題意識の掛け違い
AOや推薦の書類をよく見ていますが、まあ、こんな授業をやってきたおかげで色々と書きたいと思っている生徒はいるし、三年前よりはるかに面白いことを書こうと悪戦苦闘できる生徒が多い見える。
ただ、自分が書いている自己推薦書なり志望理由書なりが……本当にあなたの意見や問題意識なの?と思わされることが多々ある。
よい本や影響力の強い本はある。そういう本から学んで考えるのは良い。また、色々な体験をして、色々な人に出会っているからそういう人からの影響を受けて考えるのは良い。
でも、その本の内容やその体験のそのままを、あたかも自分の問題意識のように取り違えて論じてしまっていないかというものを見かけるのである。
もちろん、自分の意見と他者から影響されたことと他者への共感から持つ意見などは区別がはっきりできないし、重なることも多い。
でも、それでも書類や面談をしていると、「それはあなたの意見ではないよね」と思うことがあるのである。重なってもいいし、ほとんど同じこともあるだろう。でも、「あなたはあなたのことばでなにを語るの?」が見えにくい。
簡単な話ではない。でも、こうしたい、ああしたいという話を食らいついて語れることを期待したいんだ。

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」
- 作者: ダンロスステイン,ルースサンタナ,Dan Rothstein,Luz Santana,吉田新一郎
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なんでQFTが大切に思うのか。
それは、自分のことばで問題を語りなおすからだ。問題を自分とどう関係づけて、理解して、対決しようとするのか。
そのスタート地点として質問づくりで、自分自身の問題を深めることに意味があるのだ。
こうして、志望理由書で自分の問題意識が弱いものを見てしまうと、授業の無力さを思うのである。偏差値も出ている、パフォーマンスもそれなりにできるようになった。
でも、肝心の問題が自分にあるのか。自分の使命を感じる何かを見つけるすべを彼らは知っているのか。
もちろん、それが高校で難しいなら、単純な受験で結論出すことを先延ばしにできればいい。
でも、せめて。
高校の間に、自分も問題意識のかけらを握ってもらったり、どうすれば問題を見つけられるかということ、世界とどう付き合う術があるのか、そのくらいは教えられないのかなぁ……と思うのだが。