今日もせっせと残業。イレギュラーな仕事に振り回されていて、自分の仕事が出来ていない気がするのである。
学生の指導案
毎年、弊社に実習にくる学生の指導案を見ていて思うが、どこまで指導案が書けなければいけないのだろうか。
自分としては上の過去記事の通り、きちんと生徒を見取ろうということに七転八倒した成果を言葉にまとめられればいいかなと思っているのだけど、どうしても授業の形式や進行にばかり目が行きがちである。
学生の問題というよりも、指導する教員の方が理詰めの学習指導案を書(以下略)。
私学だと完全に公的な制度とは切り離されているので、指導案なんて書かないで生活できるのです。むしろ、指導案なんて書く意味あるの?くらいの……。
自分は大学時代からのしつけの成果で指導案は書き続けているんですが…。
そんなわけで、毎年、指導案とは何かがよく分からないまま、先の先輩たちが書き残した指導案を真似て、なんだかよく分からないうちに実習が終わるのです。
割と辛辣な言い方をしたけど、これは指導する側の責任である。せめて、学習指導要領の解説などをしっかり読ませて学生に指導案書かせましょうよ……と思ったりする。
次回の学習指導要領改訂について、それほど危機意識もなく、変化するという実感もないのは、普段から学習指導要領を気にしていないからなのでしょうと思ったりもする。
指導案は自分の顔です
細かい形式だとか文言だとかは自治体や採用された学校によっても違うからあまりぐちゃぐちゃと掘り下げても仕方がない。ただ、もう少し自分の授業が生徒にどのような影響を与えて、どのようなことを育てられるのかということを考えてみてもいいのかなと思う。
自分のやりたいことなのか、カリキュラムで決められているから言われたことをなぞるだけなのかでだいぶ書くことは変わってくるだろうし、自分のやりたいことを書くならば、細部にわたって本当に適切かという吟味が自分の中で必要になる。
せっかく自分の授業をやって、教えることが楽しくなっているというのであれば、それが実習生割引きで生徒が優しくしてくれるからこそ、謙虚にあれこれと色々な手段を尽くして自分の授業を吟味してみて欲しい。
その上で、自分がこれだ!と思う授業や単元を指導案に書いてほしい。そういう指導案を見ながら、あれもできそうだね、とかこれもできそうだね、とかそういうことを終わった後に話せたらいいなぁ。