腹が立ったことも多くて疲れてしまった。
ダラダラと次年度に向けての雑務をこなす。特に外部との折衝の話が一気に進んだのは何かと都合がよかった。
生徒がいないことに
休校となってから、数えてみると十日以上が過ぎようとしている訳だが、だいぶ自分の仕事も片付いたこともあって、時間に余裕が出来てきた。しかしながら、生徒の様子が全くわからないので、次の授業のことを考えようとしても、イマイチ思考が上手くまとまらない感じがある。
一ヶ月も間が開いてしまうと、全く自分の持っている生徒のイメージとは別のイメージで始めないとダメだろうなぁと思うのである。学習習慣も違いが出てきているだろうし、興味関心の持ち方も変わってきていることだろうと思う。
そういう状態で、三学期の続きのようなつもりで授業を始めたら、全然、空回りした授業になってしまうだろうなと思う。
また、四月から授業を始めるのであれば、新入生を迎えるかのように、丁寧な授業開きから始めるべきなのだろう。
『教育科学国語教育』の四月号。毎年のことながら授業開きについて。細かい技は個人的には、自分のやり方があるから良いのだけど、授業開きに寄せる思いや何を語るかという考え方が参考になります。休校で時間があるなら八百円くらいなものなので手に取ってみてはいかが? pic.twitter.com/T46tM2yN4G
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年3月13日
この特集を見ると、いよいよ新学期だなぁという気分になります。黄金の3日間なんて今でもいうの?そうでもない?
まあ、そろそろ授業がないことにも飽きてきた感じはある。それだけに新年度の授業は気合いの入った授業になると思うが、出だしで空回りしないように、この空白の一ヶ月のことをあれこれと思いながら準備を進めるのである。
ICTへの期待も落ちてきてしまった感じ?
そろそろICTを使って出来そうなことが世の中にだいぶ提案されて、自分の学校でも色々と試してみるということが一巡したこともあって、ICTを使って出来ることに対して現実的になってきた様子である。
現実的に考えれば、あれもこれもICTで出来るわけではないし、設備環境が整っていたり日常使いをしていなかったりすれば、唐突に「さあ、今日から始めるぞ」とやっても出来ることには限界が見えてくる。
逆にやることがないから四六時中、ネットと睨めっこしていると、余計な仕事を自分から増やしがちであるし、精神的にもうんざりとしてくる部分がある。
普段から使っていない弊社なので、余計に使い勝手が分からないで好き勝手やっているうちに食傷気味になっているといったところか。まあ、ゼロだったものが使われただけよいと思いますが。
ここからまたどういう方向に振れていくのか……個人的にはやはり授業に限らず、日常的に使ってもらえるようにしたい。使ってもらうことで授業でのクオリティも安定していくので……。
やりすぎないように注意してやっていこうと思います。