ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

誤解されるICT活用

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すっかり最近はICT好きな人になって授業している自分ですが、話していて「何だか誤解されているなぁ」ということを感じたのでメモ。

ICT好きだから使っているわけではない

一番の誤解が、ガジェットを買い集めたりパソコンのスペックにこだわったりするICTガジェット好きだから、授業でICTを使いたいという訳ではないのである。

自分が好きなものを生徒にも使って欲しいなんてそんな話はしていない。かなりクリティカルな話なんだけど、悪気無く「先生は、パソコンとか好きだからすぐできるかもしれないけど」みたいな話をされると、それは違うと思うのである。

確かに、自分でパソコンを自作できるくらいには機械いじりは好きだし、ラズパイだとかにテンションが上がるし、Apple製品は次々と仲間を呼ぶし……と、ガジェット好きな側面は否定しないけど、別にプログラミングが出来たり機械工作をしたりしたいわけではないので、自分の仕事に自分の趣味を持ち込みたいなんて全く思わないのだ。

そして、そういう好事家根性で教育にICTといっている訳ではないのだ。そういう発想と一緒にされるのは割と心外である。

まあ、新しいものには飛びつきますけどね!

ICTで生産性を上げたい訳でもない

これも勘違いされるのだけど、ICTを使ってプリントの印刷や配布がなくなったから楽になる……というのは、一面では真実かもしれないが、一面では全くの嘘であるように思う。

個人的には、紙の印刷がなくなると、それだけで待ち時間などのストレスがなくなるので、全体的な生産性としては結果的には向上しているのは事実であるし、世間一般の水準から考えれば、紙の印刷に時間がかからなくなることのメリットは小さくない。

ただ、だからといって、紙を使わないことが目的にあるのではない。ムダなことや虚礼や慣習はしたくないが、必要なことには必要な準備をする。現状の自分環境ならば、たとえば生徒に漢字練習をさせるのであれば、電子ペーパーとペンでは心許ないし、生徒の復習に繋がらない。

ふり返りについてもデジタル化してLMS上で管理するよりも、生徒に手書きで紙で書かせた方が閲覧性も反復的な見返しにも便利なので、紙で行う。

生徒の発達段階やつけたい学力との関係で、必要な場面ではICTの活用に制限をかけるけど、ただ、現状の様々な条件や生徒の実態を見ると、自分の授業でICTを「意図的に使わない方が良い」という文脈が起こりにくくなっているだけの話なのである。

生徒の実態や教育の見通しを持たないのに、紙だけ減らしたり採点の手間だけ減らしたりして生産性が上がったと喜んでいるのでは、困ったものだと思うのである。

無理矢理に使っている訳ではない

今回の9月中のハイフレックス型授業に対して、普段からICT、ICTと小うるさいくせに、世間がICTでハイフレックス型授業だ!と騒ぎ出すと「そんなのはあまりよいことはない」と水を差すような態度になるのだから、自分はよほど天邪鬼なのである。

しかし、別に天邪鬼になりたくて、天邪鬼になっているのではなく、「無理をしても効果は得られない」「アリバイづくりで満足したつもりになるのが困る」と言いたいだけである。

今の平均的な学校の設備やICTの使用頻度による習熟度においては、教室と自宅で同じ授業をリアルタイムに同期してやることは非常に負担が大きい割に、成果を得ることは難しいのである。

だから、そういう無理を押し通す使い方は、ただ、教室を移せば良いとやっている側は感じやすいし、何となく配信できたら自分がちゃんと生徒のことを考えてやっているように勘違いしやすいという点からも及び腰なのだ。

普段からICTを授業で使うということは、緊急事態の無理のための準備ではないのだ。だから、普段からICTを使っていても、授業での生徒の学びの質保障のための準備や授業となると血反吐を吐くほど辛いのだ。

それしかできないと納得するからやるのだ

自分がICTを使う基準は、それを使ってでしか出来ないことをやりたいから使うのだ。もちろん、生徒が使わないでやるという選択肢も残しつつ、とはいえ、使っている人に触発されることを期待されつつ、ICTの威力を発揮する場面で威力を発揮してもらって、今まではやりたくても出来なかったことをやるために、使うのだ。

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