一週間、生徒とテキストベースで授業を進める。宿題のインフレにならないように、他の授業に遠慮して少しずつ、オンデマンドで。
ちょっとだけ、解説動画を作った方が良いかなぁという気もしたが、動画見ている間に少しでも自分で読んで考えてくれれば良いかなと思ったのです。教科数を考えても、ちょっと動画を見るのもだんだんしんどくなるかと思いつつ。動画を作ること自体は、クオリティさえこだわりすぎなければ、それほど機材には困らないとは思っているのですが、あえてそれを選ばないで、地道なことをやっておこうと思っています。そもそもツールに慣れるためのレクチャーも必要だもの。
次に備えるために振り返る
こういう資料を再び読み直している。
いま「授業」を問う―テクノロジーの活用と授業のオンライン化を未来の「当たり前」につなぐ
京都大学の石井英真先生の文章である。
授業のオンライン化については、これまでの授業をそのままの形で、ましてやそのままのクオリティで再現しようとするのは有効ではない。苦労して動画配信しても、それだけでは子どもたちは学び始めない。また、zoom 等を使った同期型の授業も、子どもたちの集中力には限界があるし、伝えられるものにも制約があるし、目への負担や健康上のリスクもある。
休校が長くなり、オンライン授業への依存度が高まれば高まるほどに、こういう初期に指摘されていた問題点が一層顕在化してきている気がする。
顕在化してきているのに、解決されないままである……とも言えるのだが。
授業の準備とあわせて急ピッチに行わなければいけないことが、再開後のシラバス……今後の学びの全体像を生徒に示すことである。しかしながら、これがなかなか思うようにデザインできない。どこでその計画がおじゃんになるかという余波への懸念もあるし、学校の行事予定すらまともに決まらないという状況なので、授業数のカウントが出来ないでイマイチイメージをつけられないでいる。
たぶん、もう発想を変えて、授業数から脱却して、期間や日数で生徒の成長をデザインしていかないといけないのかもしれないな。三ヶ月でこのくらい、半年でこのくらい……そういう学習のデザインを示さないといけないのかも。
思えば3ヶ月である。生徒にどんな学習のデザインを示せたか。
何も示せていないというのが正直なところ。一方で、細々と今までやらせられなかった、ICT機器の操作に慣れさせるような課題は定期的に取り組ませることは出来て、色々な教科が今授業をやるための下支えになるようなことは出来たかな…とは思うのである。
もっと使い倒そう
せっかくのクラウドだというのに、全然、持て余しているような気がする。まず、生徒に渡している資料の量が、恐る恐るという感じで、全く少ない。教室で読んでいる量よりも少なくなってしまっている。
生徒がスマホを使っていると言うことや、読みにくいからわざわざインクを使って紙で印刷している……という話を聞くと、あまり多く送るのも気が引ける気がしてくるのだが……でも、本質的に、たくさんの資料を扱って、生徒自身が束ねていくということを練習しないとICTやクラウドを使っている意味が半減してしまうよねと思う。
情報時代の学校をデザインする: 学習者中心の教育に変える6つのアイデア
- 作者:C.M.ライゲルース,J.R.カノップ,Charles M. Reigeluth,Jennifer R. Karnopp
- 発売日: 2018/02/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
なぜ、学校の教室にいたときに出来たことがオンラインになると及び腰になってしまっているのだろう?やはり生徒の顔が見えないから?
だとすれば、自分の生徒とのコミュニケーションが不足しているんだな……ちょっと原因が分かってきた。
よし、また、明日から頑張ってしきりなおそう。