ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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教えられないとできないか

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GIGAスクールが始まり、色々な場所で混乱が起こり、怨嗟の声が聞こえてくる。

あまりにも急激な変化であるので、その変化に対する準備が出来ていないことにも由来している。

そして、多くの場所で聞くのが「授業での使い方を教えられていないので使えない」という声である。

研修は期待できない

新しいことを始める以上、公教育の質保障の観点からすればちゃんと一律の研修があって、それなりに使えるようになってから始める…という話にも理解は出来る。

しかし、GIGAの背景にあることがコロナで学校に来られないという状況に対する備えという側面もある以上、誰かから情報を与えられることを待っていられない状況もある。

ポスト・コロナショックの授業づくり

ポスト・コロナショックの授業づくり

  • 作者:奈須正裕
  • 発売日: 2020/10/05
  • メディア: 単行本
 

どうしても、学校の現場とすれば色々とやることがあるなかで、デバイスが一方的に押付けられ、授業しろ、端末を管理しろ、と言われてしまうと途方に暮れるしかなくなるのである。

なんとか自分たちで工夫してやれ、ただし助けは出さない。そういう状況である。

大変なのも分かるけど

そういう状況であるので非常に学校が苦しい、教員が苦しいということは自分も身を以て理解している。

とはいえ、ICTについては何のために導入されたのかということを考えると、「教えてもらえないから出来ない」とばかりはいっていられないのである。そもそも、去年の数ヶ月の一斉休校の期間に、ICTでなければやれないこと、どうすればできるのかということがかなり共有されてきているのだから、情報は去年のこの時期よりもずっと手に入れやすくなっているのである。

忙しくて本を読んでいる暇も無い…と言われてしまうと、その忙しさも分かるのだが、それでも自分の今の仕事を一歩でも二歩でも改善するためには踏ん張らないといけないのですよ…とは言いたくなる。

授業は使い回そうと思えば、何年でも同じことを繰り返すことが出来る。でも、それを良しとしないのが教員の良心であるはずである。目の前の生徒の現実に合わせて、授業を最適化していく……今の時代の要請を考えれば、GIGAで手に入れた端末を活かさないという選択肢はないはずだ。

教えられないと出来ないの裏に

「教えられないとできない」という言葉を平然という考え方の裏には、「授業で生徒を教えるものだ」という考え方が隠れているように思う。自分が使えないものを生徒が使えるわけがないという気持ちや生徒の方が上手く使えてもろくなことをしないだろうという予想がある。

教室の管理を任された孤独な教師像……それはやはり、この混乱の時期には辛いだろうな。

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