一年間に考査を何本くらい人は作るのだろうか。今回は6本作りますが、今のところ6分の4。先が長い……。
試すべきは身につけたこと
定期考査の問題は基本的には全て初見の問題で出題している。決して、授業で教えたことを覚えてきて再現すればよい不思議な国語のテストは作らない。
初めて見る文章であっても、きちんと対処できるような知識と方略を授業で練習してもらい、定期考査の時間制限いっぱい、自分の持てる力を振るってもらおうというつもりで作っている。
初めて見る文章で使えなければ、いくら暗記してもいくら練習した気になっていても、ダメなのですよね。
授業での活動が成長がない空疎なものにならないように、きちんと自分が生徒に方略や使うべき知識を指導できているか、生徒が自覚的に振り返って繰り返し練習が出来ているか、そういうものを点検するのが考査の役割なのである。
教科書の文章をそのまま出すよりも、いちいちどの題材であれば授業で実践したことの評価になるかを考えなければいけないので、ずっと頭を悩ませることになる。そもそも、授業で生徒に大量に資料を読ませたい、活用させたいと思っているので、授業で十分に出し惜しみすることなく、資料を使い切ったさらにその後に、生徒の様子を見て素材を探し直すのだから……我ながら胃が痛くなる思いがする。
設問にもつながりを
おそらく業者にでも下請けに出しているのではないかと見紛うくらいに質の悪い入試問題がある一方で、ポリシーのある大学は、問題文と設問の置き方が重複や抜け漏れなく、解答すると文章の構造がきちんと読み取れるような、そして生徒が間違いやす点を設問によってフォローするという見事な作りになっている。
そういう入試問題を見ると、「なるほど、読む力とはこういうことか」と思い、自分もしっかりと問題を解く過程で生徒に思考をさせたいと思いながら設問を置くのである。
なんとなく聞きやすいから、ここの指示語を聞こう…みたいな問題は作らない。
問1が前振りになって問2が分かって、問3と対比になっていることを確認して……みたいなことを気づけたら、楽しく解けるような考査を毎回作ろうと努力しているつもりだ。
時間がかかるが、ばっちりと設問が定まって、模範解答までできあがったときは会心のガッツポーズである。
まあ……こちらが会心の出来だと思ったときほど、考査終了後に生徒の方から恨みのこもったまなざしを受けることになるか、まったく目も合せてもらえなくなるかなのだが……。