次々に新しい単元がやってくるのです。
随筆をどう扱うか
この時期に扱っておきたいのが、随筆である。比較的、定番教材も多くて、扱うことが難しい分野である。
評論と違って、論理でごり押しで読ませることには、随筆の面白さは全くないし、だからといって「ほら、感じるだろう?」という押しつけがましい解説も、自分が勘弁して欲しいので、どう扱ったものか…という悩みが毎回ある。
一つの原因としては、自分も随筆をあまり読まないということもある。積極的に読もうと思うジャンルではないのだ、自分の趣味として。だから、季節的に義務的に、随筆を買って読んではいるけど、根本的に好きではないという本音が漏れてしまっている気がする。
しかし、実際、日常的に読む文章を考えると、世の中はエッセイに溢れている。雑誌のちょっとしたコラムも一種のエッセイであるし、職場で回ってくる機関誌などに載っている文章もエッセイである。
小林秀雄や寺田寅彦のようなエッセイと言うよりは「随筆」と言った方がよいような文章だけが、随筆、エッセイではない。ジャンルとしても幅は広いので、どうやって読んでもらったものかなあということに四苦八苦するのである。
定番教材と言えば、
次の改訂で生き残るかは分からないけど、今の教科書でも根強く残り続けているのが手の変幻、ミロのヴィーナスである。
教科書に掲載されている「随想らしい随想」であるなぁと思うのである。
次の学習指導要領の中の「随筆」
次期学習指導要領を眺めてみると、「随筆」の扱いは今の学習指導要領よりも顔を出す場面は増えている印象。ただ、単元の中心にどっしりと現れるというよりは、何かと組み合わさって出てくるような印象。
例えば、「言語文化」の「読むこと」の「言語活動例」に以下のように登場している。
随筆がメインに来ているわけではなくて、「言語文化」を理解するための足場かけとして随筆があるというような印象。
解説部分を読むと以下のような事が書かれている。
と、こんな調子で、「随筆」そのものが主たるところにいるという印象は受けない。
随筆を読んで批評活動…という言語活動例もあるが、これもメインは「批評」であって、あまり随筆というジャンル自体にはこだわりがあるようには見えない解説になっている。
「書くこと」だと、もう少し「感じたことを書く」という指導の必要性が説かれているが、現代文よりは古典、伝統的な言語文化の理解のためという印象である。内容の取扱いのところで、素材としてきちんと随筆を取り上げるようにとご丁寧に書いてある割には、随筆自体で何をやるかということは非常にスカスカとしている印象である。
まあ…表現をしましょうか
そんなわけで、割と自由に他の指導事項と組み合わせて扱って良いだろうという感じがするので、個人的な趣味趣向として、「表現」に取り組みたいところだ。
やっぱり、随想のような天才的な表現のうまさは、凡人が自分で表現してみて、圧倒的な違いを体感してみると良いですよね…。
まあ、自分が随筆の書き方をよく知っているわけではないで、一緒にとりあえず生徒と書いてみます。