冬の雪が降るのに合わせて、定番教材の詩へ。
なじみがないものをどうするか
詩の扱いについては、自分に引き出しが少なすぎて困ってしまう。無難な、失敗しないくらいの授業案はいくつかは持っている(定番教材は資料が多いので、そういう意味で助かる)が、自分の教室にいざ落とし込み、自分が生徒に対して大切にしたいことと突き合せてどう授業するかを考えると、なかなかしっくりとくる形が出てこない。
根本的には自分があまり詩について詳しくないのである。ある特定の時期に大量に資料を読みあさり、「だいたいこんな感じなこと」といった具合に、毎回、やり過ごしてきてしまっているので、上手くいかないのだ。
なかなか、自分のなかにしっくりくる柱になるものがないから、すっきりと授業が立てられないのである。
結局、そうなるとどうなるかと言えば、だいたいの方向性を決めて、生徒の様子をみて、何を授業で取り組むかということを決めることになる。
目指すところはだいたい見立てがあるので、どういう過程で進んでいくのかに、個人的にはそこまでこだわりがない…というか、ある程度の幅に絞れたのであれば、生徒の様子を見てどうするかを選んでもらってもいいと思っているくらいである。
まあ…だいたいは、そういう訳にもいかない(クラス間で差がつくのも問題なので)ので、決めてから授業にいくことになるのだが。
今回は、詩ということもあって、生徒にもなじみがないし、今後の人生においてもなかなか生徒が詩と関わるイメージが持てないでいる。そりゃあ、詩が読めるような人生であって欲しいと願うところもあるが、なかなか、忙しい生徒たちの生活にどうして上手く「今」に詩を読むことが必要だと思ってもらえるか……そういうイメージを持てないのでいるのである。
無理に読ませて嫌にさせるのも本意では無いが、興味ないものを工夫程度で自発的に読むようになるとも思えない。
強制と自発の間で何とか成立するような授業がないかと思うのである。
まあ…楽しく行こうよ
ただ、今回は、そこまでガチガチにやらなくてもいいかなという気持ちがある。
色々なアプローチの仕方があるし、色々な言語体験の在り方があっていいはずだ。あまり学力、学力、能力、能力と言っていると肩が凝る。面白くない。
少しくらい、余裕を持って終わらせても良いんじゃないかなと。
詩を授業でやったら、「これは鬼滅ですね!」と。なるほど、その詩をそういうイメージをつなげたのか。何の詩かはご想像にお任せします。そりゃあ、炭治郎はたしかにわたくしのすべてのさいはいをかけて願っていますね。
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年12月16日
このくらいの緩さでも、なんだかちゃんと読んでいるんだな何て思ったりする。