手の込んだ複雑な実践は、やった感はあるんだけど、こま切れになりやすい。王道的に、一つの問いに自発的に読み深めるような単元と、それを多様な手札で支援できる実践をしたい。
— ロカルノ (@s_locarno) 2022年6月19日
単元学習の実践報告で上がってくるような実践は、準備も細部にわたって行われており、生徒への手入れも非常に緻密である。
そういう胆力のある実践は見ていて心の底から感心する一方で、自分がそういう手間暇をかけてしまうと、どうも力の入れ方を間違って空回りしがちである。
熱意と勢いと体力に任せて実践を作ることも、そろそろ体力的には難しくなってきているし、校内の仕事が授業以外にも増えている。だからこそ、実践をシンプルにしたいと思うこの頃である。
指示を減らしていく
国語科の指導スキルとしてシンプルにまとまっていて感心するのがこの一冊。
背伸びせず、卑下せず、王道的に指導のために必要なことが揃っている一冊だ。
まあ、一斉授業をめぐる議論については個人的なスタンスとは差異はあるのだが、そういうことを脇に置いても説得力があり示唆に富む。
この本に限った話ではないが、多くの指南書で言われることは「指示をシンプルにすること」である。
これが自分には出来ず、一番の課題になっているところだ。
どんどんと単元を煮詰めていくと、一つ一つやることが複雑になりがちだ。そして、その説明に何分も時間を使ってしまうという悪循環である。
てびきをしっかりとしていれば…と思うこともあるが、てびきを長々と書いて、きちんと読めるくらいなら国語の授業は要らないのである。てびきで説明し尽くそうとしたら、全て話すのと同じである。
一番よい指示とは、一目瞭然で見て分かる見本を示すことなのだ。
それが難しい。
結局、そういう指示が出来ないことが、自分が言語生活者として乏しい生活を普段から過ごしている結果なのだろうという気持ちがある。
また、大きな問いを生徒に任せるだけの度量がなかなか自分の中に育たない。
シンプルな問いのあり方を追求するには、もっと落ち着いて考える時間が必要だ…と忙しさを恨めしく感じる。
ワークシートもなくしたい
自分は基本的にはワークシートを減らしたい人間である。
そういう気持ちがあったはずなのに、ついClassroomなどのLMSなどを使うと気軽に資料を配付できてしまうものだから、最近はワークシートではなくデータのテンプレートを送信しがちであった。
確かに、ICTを使ってテンプレートを配布すると、上手に見栄えのする作業成果を出すことは出来るのだが……それは作業であって、思考ではない、ということが増えてしまっている気がする。
もちろん、圧倒的にアウトプットの物量が増えるので、その効果はめざましいものがある。日常的にアウトプットをくり返していると、生徒の言葉がだんだんと馴染んでくる。その良さは感じる。
しかし、そこで止まってはいられないのだ。思考の動きの平板さに挑戦していかねばならない。