2000本達成です。
雑記ばかりでまとまりのあることをここ数年はろくに書いていない気がしますが、それはそれとして、とりあえず習慣として続けていきます。
毎日、良いネタがあればいいなぁ…いや、自分の感度の問題だとも感じる。精神的に余裕があって色々と考えることができる時期であれば文章をまとめることに苦はないのだが、忙しい時期は精神的にも創造性がなくなる。
続けることの効用
だいたい五年半くらい毎日書き続けたことになる。だいたい、1000字程度を毎回、書くようにしているので、二百万文字くらいは書いたことになるのだろうか。本一冊が一般的には10万文字くらいだって聞くので、20冊分くらいは延々と文字を書き垂らして来たわけだなぁ。
これだけ書き続けても、別になにかわかるようになるわけでもなく、日々を消化しているなぁという気持ちが強い。
本格的にライティング技術を磨けばよいのかもしれないが、そういう気概があるわけでもない。
ただ、未来の自分が振り返ったときに、同じことを繰り返さないようにするためだけに、気づいたことなどを書いておこうというブログである。
書き続けることで色々と知り合いが増えることなどもありましたが、それは例外的なもので、年に1度くらいなものです。
世の中の有名なブログを見ていると、色々なチャンスに繋げている人もいるようですが、こうやってただ主観的に日々を垂れ流しているだけでは、そういうことにもつながらないのです。
だから、ブログで一山当てようと考えるのであれば、よほど戦略的でないとダメですね。自分にはそういう意図はないので、非常に気楽だし、追い込まれるようなことはないのです。
ただ、日々、書き続けることで、書くということを習慣にして、自分の国語科の教員としての訓練をしているという気分である
どんなものが書けるかということよりも、書くのがいやでない、あんまり苦しくない、何かの折にふと鉛筆を持って書いている……そういうふうになることができたら、ほんとうにしあわせだと思うのです。そしてそういうことは、長い間、習慣のようになっていかないと、できないことなんです。
(大村はま1983『大村はまの国語教室 第13巻 国語学習のために 』P.407より)
大村はまのこういう言葉を見て、自分が書くことを習慣にするとはどういうことなのだろうと考えたときに、自分自身が書き続けなければわからないという結論になって、こうしてひたすら書いている。
まあ…鉛筆は持たないですけど、手書きは心底、嫌いなので。
ブログは思考の場になるか
せっかくブログを書いているのであれば、もう少しちゃんと読まれる価値のあるだけのことを書いたほうがいいのではないかという気もしている。
ブログを書き始めた頃は、もう少し丁寧に書いていたと思うのだが、今はその時期よりもだいぶ日常生活に追われているせいか、あとは体力が続かなくなっているせいか、書きぶりが雑になっている。
ここで踏ん張って、丁寧に毎日、書くようにすることもできるのだろうかと考えるが、そこに時間をかけるよりは読み書きしなければいけないことは多くあるように感じる。
だった、そもそもブログの更新自体を止めてしまえばよいのではないかという話はあるのだが、書くことは教員として生きる訓練である。
誰かの役に立つつもりでこのブログを書いているつもりはないし、他者からの見え方を気にし始めたら動けなくなるだろうと思う。
自分の授業の実践について書くのを最近は止めているのは、コンプライアンスの問題やリスク管理の面が大きい。授業について書かないので、雑記ばかりになっているという気もするが、書きづらい世の中である。
もう少し、丁寧に書評を書くことはやってもいいかもしれない。
それなりに本は読んでいるのだが、自分の中の消化が悪い。コロナの影響もあって、実践と理論のバランスが自分の中で消化が悪くなっている。授業がそもそも計画的に回らないのである。何かをまとまって組織することがしんどくなっている。
その意味では、こういう時期であっても次々と批評に耐えうる実践を次々に出されている方は本当にすごいなと心から思う。
日々を漫然と過ごさないためにも、こうして書き続けて何かにひっかかり続けなければならない気がしている。
3000日は二年半後
次の節目の3000日は二年半後ですね。
その頃には、もう少しまともな授業ができるようになったらいいなと思っています。