今週のお題「マイルーティン」
日々のルーティンとしてくり返し取り組んでいることは、まさにこの「ブログを書く」という習慣である。
これは何度か話しているが、自分が国語科の教員として常に書くことを続けて、どうすれば書くということを教えられるかを考え続けるための修行です。気づいたら今日で連続で2270日目だそうです。
書くことの難しさを感じる
こうして毎日、書くという作業をしていると、「書くこと」の難しさに何度も直面する。
生徒たちが「書けない」という苦しさは、ネタ切れで困ったときに擬似的に体験できる……ような気がする(厳密には全然違う)。
ただ、ひたすら書くだけでも、書くという時にどんなことを考えることになるのか、どういう技術を使って書いているのか、じゃあ、「書くこと」としてどういう技術なら授業で教えられるのか……そんなことを毎日「書く」という行為を通じて、体感している。
ある程度まとまった文章を、構造化して書くということは、慣れていないとイメージをつかむことは難しい。
だからこそ、日々、書く練習を続けるのだ。
授業の記録を呟くように書き続ける
授業のことをとりとめも無く、誰に伝えるのでもなく書き続けることは、自分が自分の今の立ち位置を忘れないためである。
後から読み返したときに、ずっと同じところでグルグルと迷っているのか、それとも全然違う視野を持てるようになっているのか……そういうことを積み重ねて、時々確認して、自分の「教える人間」としての立ち位置を考えるのである。
まあ、ブログには大切なことは書けない。個人情報の問題もあるしね。
だから、自分だけが分かるように書くことが多いので、他の人の助けになるようなことはないのは申し訳ない。ただ、そういうちゃんとした文章は仕事でちゃんと書くので、やっぱりブログは思いついたことを直情的に書いておきたいと思うのである。
授業づくりの信念や感性みたいなものは、やっぱり自分にだけしか分からない。
書き続けたところで分からない
偉そうなことを書いてみたけど、2300日くらい連続でブログを書き続けても、何が得られるのかはよく分からない。
こうして書き続けることがきっかけで色々な縁を得ることが出来たので、書き続けること自体にはとても意味があるだろう。興味を持ってくれた人が色々なことを紹介してくれる。
でも、自分自身が結局、何をしたいのかということは、ただ書き続けても分からない。ずっと同じ所をグルグルとしている感じがある。
よく言えば芯が通っているとも言えるし、そんな過剰評価をしないで虚心坦懐に言うならば、勉強しないから足踏みしているんだよ!とも言える。
我慢強く書き続けてみるしかきっと分からないのだろう。いつまで続ければ分かるようになるのだろう。自分が現役である限り、それは達成できるのだろうか。
書き続けるコツ
ただ、ひたすらこうして書き続けるコツを述べるのであれば、自分のハードルを下げることでしょう。
どうしても色々な波がある。
一文字でも書けば、続けたことになるのだから、そうやってTwitterよりも短いブログを書き続ければいいのです。