今週のお題「マメ」
担任になって以来、ずっと続けている習慣がある。
それは、マメな教室整備である。
精神論のようだけど
原則、出張などがないときは生徒の帰ったあとの教室と生徒が登校してくる前の教室を必ず点検・整備して回るようにしている。
もちろん、忙しい時や手が回らないときもあるのだけど、何もなければ朝出勤すれば教室へ行き、退勤する前には必ず教室を見に行く。
基本的に掃除をすることも教育の一環ではあるので、自分たちの生活する環境は子どもたち自身がキレイに保つべきだとは思っているが、それとは別に、子どもたちを迎え入れるという立場に立った時に、自分は丁寧な環境を準備したいと考えているのである。
例えば、教室に入ってきた時に机が雑然としていてなんとなく落ち着きがない教室と、教室に入った時にしっかりと整頓されている教室のどちらの方が気持ちにストレスを与えることなく、子どもたちを迎え入れることが出来るかという発想である。
子どもたちが教室に増えてくれば、あっという間に整頓された状態は崩れてしまうが、一番最初に教室へやってくる子どもには、気持ちよく朝を迎えることをしてほしいという思いがある。
精神論のようだけど、そうやって丁寧に日々を過ごしていると、子どもたちも本当に超えてはいけない一線をちゃんと意識して、丁寧に教室を使ってくれるように感じている。
日々、ゴミを拾い、机を並べる。そういうマメなことでしか自分が担任らしく振る舞えないという自信のなさの表れでもある。子どもたちと付き合っていくことは何度やっても難しい。だからこそ、分かりやすい形を求めるのだと自己分析している。
カラの教室からも見えてくる
放課後や早朝に、生徒のいない教室を眺めていると色々と気づくことがある。いつもと違う散らかり方をしているときには嫌な予感を感じるし、はじめは雑にものを散らかしていた生徒が少しずつ整理できるようになっていることには成長の実感を見出す。
放置された机や椅子の配置からも、生徒同士の人間関係がなんとなく透けて見えてくるし、変化しているものも実は見て取れる。
毎日、こまめに見続けていないと、変わる時は突然変わって、当たり前のようにそこにある状態になるので、見落としてしまう。
毎日、見続けていても気をつけていないと見落としてしまう。
ちょっとした変化に気づけるかどうかは、自分の心の平静さを測るバロメーターでもある。忙しくて気づきもなく、作業として教室を整備している時は、あまりよい仕事ができていないのだ。
瞑想のように、願い事のように、同じことを毎日繰り返すから、わかってくるものがある。