今週のお題「苦手だったもの」
教員だからといって、人前に立って話すのが得意だったり人と上手くコミュニケーションを取ったりすることが得意なわけではない。
教員を十年やっているけど、やっぱり人前に立つのは気を遣うし、話をすると気疲れする。
そもそも人と上手くコミュニケーションを取ることが出来ない学生時代を過ごしてきたのだから、職業が教員になっても上手くなるものでもない。
教職は技術
性根としてはコミュニケーションが人と出来ない人間であるけど、教えるという仕事については無難に、大きな波乱なくこなせている。
コミュニケーションが苦手なだけであって、出来ないわけではない。つまり、自分の置かれている状況から考えると、コミュニケーションをちゃんと共同しようと活動を変えられないのはただの怠慢である。
逆に言えば、学校という現場で、生徒や保護者とコミュニケーションを取っていくことは、完全に職業としての技術として行っていて、そこに苦を感じることはないのである。技術として、きちんとやれることは多々ある。
逆に言えば、そういう技術が身体に染みつきすぎているから、他の人と話すときに「教員くささ」が出てしまうようで、自分が嫌になる部分もある。だから、余計に人とコミュニケーションができなくなっている気もする。
色々と気にならなくなっていく
ただ、自分のするべきことが増えれば増えるほど、あまり周りのことを気にしなくなっていく。自分の小さな世間体よりも、自分に与えられている仕事の責任の方が重いのである。
だから、だいぶ人の話は聞けるようになったとは思う。でも、自分から話すのはやはり上手くない。話しすぎることがやはり自分として嫌なので、話すタイミングというものをつかめないでいる。
それでも、一人で出来ない仕事が増えたから、自分で何とかしなければいけないのである。仕事というものは研鑽して出来るようになることだ。
苦手なことがあるなと自覚して生きているからこそ、無茶を言わないようにしたいと思うのである。
……まあ、それは対生徒にであって、大人に対しては厳しくあたる気がする。
苦手なことは上手くなるのだろうか。程度問題として、気にならなくなっていくだけなのかもしれない。