一週間ぶりに出勤したら、色々な人との折衝があって、まったく自分の仕事ができなかった件。
いよいよ本気で授業に
GWも開けて、いよいよ本格的に生徒に向けて授業を発信していこうという状況である。これまで、実験的に生徒の様子を調査しつつ、できることをやるという状況であったが、休校が決着つかないので授業と評価を徹底するのである。
これまでもサボっていた訳ではなく、様子を確認しながら出来ることをやってきたということであるが、ここからは長期化を見込んでの戦いである。
困ったことに、三脚だとかマイクだとかが近所の家電量販店ではもはや手に入らないので、学校にあるもの、手元にあるものを有効活用してどうにかこうにか動画を撮影したりやっているところである。
ありがたいことに動画を撮影するための方法はYoutubeに学校の先生方が作ったものも多く、そういう動画を参考にすると非常に「現実的な」対応策を得ることが出来る。
このシリーズは職場でも紹介しましたが、非常に先生方も安心してくださいます。
それぞれの先生がいよいよ腹をくくって、動画を作ったり対応できる教材を、さあ、挑戦だ、さあ、やるぞ!という時期に来ているのである。
そんな時に、冷や水を浴びせるようなことを自分は割としているけど…
それ以上の冷や水になる言葉も聞こえてくる時期である。
不平等とは何か
「技術的に出来ない人がいるならクラスで差がつくのは不平等だから、全員で同じ仕組みでやるべきだ」という声が強くなりつつある時期である。
実際、ものすごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい労力をかけて、全員が出来る仕組みをお作りくださるので、もう、それに従わないといけないような空気になるわけですが……。
しかし、技術的に色々出来る人が、よりベターな方法を子どもたちに提供しうる可能性を持っているというのに、「教員間の平等」に合わせなければいけないものだろうか。極端なことを言えば、ものにはよるけど、ICTの技術ならば一人の教員が学年全体に発信することも対面に比べれば遙かに負担が小さい訳なのだから、出来る人が発信すれば良いとも言える。逆に、発信が苦手ならフィードバックの段階で分業すれば良いとも言える。これまでのように、一人の教員が構想・発信・点検・フィードバックまで全てやる必要は無いのである。
しかし、それでも「担当の教員が」出来るか出来ないかという議論が占めるウェートは非常に大きいし、というか、大多数の教員は決してバリバリiPadでもGoogleでも使えるわけではない。
それでも自分の時間を割いて、勉強しているからこそ、色々な手札を持っている人がいるのであって、そういう人を上手く活用しようという発想にはなかなか切り替えにくいのである。
出来ない人がいるんだから、やるな……ねぇ……。
自分の時間を割いて、コツコツとやっていることは、仕事に持ち込むなということなのだろうなぁ。
断絶している場合ではない
まあ、色々と思うところはあるのだけど、上手くごまかして折り合いをつけるしかないだろう。
技術があれば共有すれば良い。やりたいことがあれば、出来る人に相談すれば良い。
そういう風通しの良さを持つしかないのである。
自分の立場を考える。
もう、若手じゃないよね。中堅と言って良い。だったら、自分が対話で人をつなげなければいけないだろうと思うのである。
組織としてどれだけ強くなれるかは、この危機を迎えて孤立しないことだろう。