ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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【書評】「校内研究・研修」の価値

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GWもあっという間に終了ですね……なんだか具合の悪さに悶えて終わる一週間でしたが……。そんな青息吐息の状態で読み終えたのがこの本。

三月末に手に入れて、軽く目を通してはいたのですが、このコロナの時期に思うことがあって、再読していました。

校内研究・研修の根幹にあるもの

本書の構成は第1章に岩瀬先生による本書の全体を貫く理論の解説。どのようにして、現場で四苦八苦しながら実現される「校内研究」という物語が語られるのか、その切り口が明快に示されている。第2章では小金井三小の二年間の教育研究が当事者の言葉で詳細に綴られる。当事者の率直な言葉が綴られ、脚注で関係者からその言葉に対するリプライがまた丁寧に語られているという、あまり他の本では見ないような書き方になっている。

本書を貫くテーマは、帯の推薦文に中原淳先生が書いているコメントが一番シンプルで分かりやすいと思う。

対話を通して、職員室が動く

先生が変われば、学校は変わる

本書第二章の本文は著者の村上先生の対話そのものである。

職員室の中でどのような対話が起ったのかということ、自分自身の理想と学校の現実に対する自己内での対話、現在から過去を意味づける意味での今と当時の対話、内側の人間の言葉に外側の人間が応える意味での対話……幾層にも対話が重なって、一冊の「実践記録・研究記録」として成り立っている。

その中でも、もっとも切実なのが、自分の持ち場の、自分の学校の職員室での、生々しい対話である。理解されないこともあれば、無関心で対話にならないこともある。そうしたどこの現場でも普遍的に起こりえる、対話の上での困難を乗り越えたうえで、対話が成立する可能性が語られる。

対話を通じて、職員室が、教員が元気になる、勇気づけられていく過程が本書では見て取れる。

他律的な「しなければいけないこと」から、自律津的な「したいこと」へと、自分たちの教育研究が変わっていく姿には、「羨ましい」という気持ちが出てくる。だが、羨んで、彼我の差を愚痴っぽく論じても、おそらくそれには意味が無い。

羨ましいと思うのであれば、自分が組織のリーダーとなって、少しずつ職員室に対話と安心安全の場を増やしていけば良いのである。

本書を読めば、それをするために必要なことがちゃんと書いてある。

村上先生のように「こうできたらいいな」という理想を高く持つこと、それを手放さないこと、そして、それに人を巻き込んでいくことであり、対話することである。

非常にシンプルな方法であるが、それだけに地道で誤魔化しはきかず、覚悟が問われてくるのである。

しかし、「きっとできる」という気持ちにさせてもらえるのが、本書である。大変だけど、必ずどこの職員室でも、安心で協同的な場は生み出せるはずだ。そういう力強さがある。

校内研究・研修の行方

本書の簡単な書評は以上の通りである。このくらいの書評であれば、4月の最初のころには書き上がっていた。それにも関わらず、ここまでこの記事を書かないでいた理由は、やはり大きなところは「コロナ」の影響がどうなるかという思いがあったからである。

本書の山場はもちろん、2年目の公開研究会で500人が一堂に会する場面であるが……今となっては、このような研究会が次にいつ行えるか、もしかしたら二度と行えないのではないかという思いが拭えないのである。

人が集まるということ自体に問題があるし、学校自体が生徒が当たり前に登校してくるというモデルが果たして存続できるのかという問題も感じている。また、そもそも、授業研究や研究大会は一般の教員にとっては、労が多くて実りの少ないブラック化の原因として部活動の次に目の敵にされつつあると感じているので、コロナが収まっても様々な理由をつけられて、研究大会というようなものが衰退していくのではないかという危惧がある。

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一年、二年と研究を行わない、公開研究会を開けないとなると、人の異動などもあるので、そもそもノウハウ自体が継承されず、物理的にも研究を再開することが難しくなるのではないか。そもそも、生徒が規則的に登校できない状況で、どうすれば学力保証できるのかと苦戦している状況では、新しい授業を研究するという余裕も生まれないのではないか。

日本の教育力の水準を保証し、底上げしてきたのは、毎年、全国で無数に開催される公立の学校の研究会であり、そこに参加する先生方同士のつながりだったのではないか。

その文化が今、コロナによって実は大きな危機、転換点に迫られているのではないかという危惧があるのである。

本書が、かつてあった授業研究という遺産の記録……となってしまわないと、どうして言えようか。恐ろしくてたまらない。

職員室の文化は途絶えないか

先生方はこのコロナ禍においても、何とか子どもに「授業」を届けようと(それが悪筋ではないかという思いもあるけど)している。しかし、これまで蓄積や方法が役立てられそうな部分が非常に少ない。

この緊急事態、混乱が長く続けば続くほどに、授業研究してきたものが、埃をかぶって失われそうな気もする。今はそれくらいに危機なのだ。危機感で学校が動かされている。

しかし、つくづく思い知らされるのは、緊急時だからこそ通常時の学校や職員室の取り組みや思いがどれだけ「対話」されているかということが試されているということである。

「学力保証」という方法一つとっても、「授業」を受けさせさえすれば良い、出来ないのは授業をちゃんと聞かないからだという発想の人は、何が何でもオンラインでのストリーミング授業に固執するし、「面白いことが大切だ」という人は、費用対効果よりも新しくできることをやろうとするし(どちらに対しても批判的ですよ、ええ)、その価値観の違いが深刻な形で軋轢を生み、そもそも授業、生徒と繋がることを遅らせかねないという状況にある。

緊急時で、色々と動転しているからこそ、時間のかかる「対話」が必要であると感じる。しかし、それが難しい。普段から、腹を割って子どものことを話すということが不足していた……ということか。

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でも、そんな状況であっても、そう簡単には職員室は破滅はしない。

苦境だからこそ、また、職員室で顔を合わせている時間が長くなっているからこそ、ここでもう一度「どうやってうちの学校は子どもたちをフォローしていくのか」ということを腹を割って話すべきなのだろう。

遠回りのように見えるが、「対話」で組織を強靱に変えていく必要があるのだ。

一方で、逆の可能性もある。オンラインということは、ICTを使うということは、今までチームを必要としたものを、瓦解させる可能性もある。職員室に業を煮やした有能な人間が、学校を諦めて、他の方法で教育を作り出すかもしれない。職員室からどんどん人がいなくなる流れが出来たとき……それは学校の終焉なのだろう。

本書で語られるたった一年ちょっと前の出来事が、もう夢幻のように感じられれる。今、この本で語られる、学ぶ組織となった職員室はどうしているのだろう。自分たちの職場はこの先どうなっていくのだろう。

そんなことを考えるのである。

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