ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

授業研究をどう考えていこうか

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今回の授業づくりネットワークは、普段に増して一層、心が惹かれる特集である。

授業づくりネットワークNo.34―「授業研究」を真ん中において職場をつくる!

授業づくりネットワークNo.34―「授業研究」を真ん中において職場をつくる!

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 学事出版
  • 発売日: 2020/01/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

まだ、忙しくて本文はぜんぜん読めていないが、「授業研究」を真ん中において職場を作るという言葉はなんとも心地よい響きではないかと感じる。

最近は、生産性ばかり言われて、「研究」の側面が軽くなっている印象もあるだけに、どちらも丁寧に実現できる学校という職場を目指したいなぁと思うのである。

授業を見せることが億劫になっていないか?

公立の学校だとなんやかんやと持ち回りで研究授業や公開授業をやることになるのだろうが、私立だと自分から意識していないと何もしないまま、何年もやり過ごすことができてしまうのである。

初任者研修ですら、あるのかないのか怪しいレベルで、うっかりすると一度も学習指導案など書かないで一人前になってしまう可能性もある。

そんな状況で育っていると、自分の授業を他人に見せるということがだんだんと億劫になりそうである。

というのも、何も問題なく、つつがなく回っている授業に、わざわざ周囲から批判を受けるというのは、大切なのがわかっていてもあまり面白いものではない。

もちろん、授業を良いものにしようと思えば、批判を受けてブラッシュアップをして…ということの繰り返しである。せっかく授業を見てもらったのに、甘やかされたのではあまり意味がない。相手から批判を受けたら、その批判に対して論理的に反論したり素直にアドバイスを聞いたり、そういう緊張感が必要であろう。

……と、わかっているけど、やはり制度的に「やらなくてもよい」という状況で、自分からわざわざ手を挙げて、周囲から批判を受けるというのもしんどいものである。

でも、それでは自分の力が行き止まりになるとわかっているから、自分から身を切りに行くのだけどね…。

授業研究はブラック化の原因か?

最近の動向を見ていると、授業研究をすることが、教員の多忙化に繋がっているという意見を目にしたり、この忙しい状況では授業研究なんてできないという話もよく耳にする。

同じ教員の立場からすれば、毎日、イレギュラーが起こり、椅子に座る時間すらまともにない生活をしている方々を数多く見ているだけに、そういう言葉の重みもよく分かるのである。

しかしながら、やはり教育基本法の9条の重みを、いろいろな機会に振り返る必要があるだろう。

第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。

※もちろん、これは第2項の「妖精と研修の充実」や「待遇の適正化」とセットで考えられるべきであり、教員個人が抱え込む問題でもなかろう。

毎日、毎単元をクオリティが高い、新規性の高いものを出し続けるのは難しいかもしれない。実際、誰かに何かを伝えるということは、自分の身を削るようなものであり、インプットし続けないとどこかでネタが切れる。

日常であれば、少しでも生徒の刺激になり、授業に変化を与えることができるのであれば、少しくらいなら、なにか教育書や指導書を手本にして、誰かの実践を追試しつつ、自分のアレンジを加えていくようなことで日々を繋いでもよいとは思う。

しかし、それでも、逃れようもなくどこかで、自分だけにしかできない、自分の教室に必要なオリジナリティのある授業を徹底して追求して研究するべきなのだ。

研究することで教員の力量は必ず上がる。資料を読むのもそうだし、普段は目にしないような実践集を片っ端から目を通すのもそうだし、自分の考えを構造的に記述してプレとポストで変化を観察するのもそうだし……あらゆる内容に気を配って、神経質に仕上げていくという過程で、自分の授業の見取りが変わっていく部分があるのである。

そこまでやるとなると、定時で帰るなんて夢のまた夢である……なかなか世の中の流れに逆行するようなことをわざわざやらないとできないだろうと思う。

家に帰ってからも資料を読んだり、その日の授業の録音や録画を見直したり、資料を書き直したり……そこまでやるか、と思うレベルまでやって、やっと少しだけ新しいことができる可能性がある。

「研究」って冠するのであれば、生半可ではいかない。研究ごっこなら、無駄な労力を中途半端にかけないほうがよほどマシであろうと思う。

生徒をよく見るということ

自分が今すぐにやるわけではないので、気楽に厳しいことを書けるが、いざ自分がやるとなればどこまでやれるかはわからん。

ただ、思うに、研究授業であろうと普段の授業であろうと、気にかけるべきは「子どもの実態をよく見る」ということである。

授業の話をしているのに、子どものことが見えてこない。

まずは、どれだけ生徒の様子を見られるか。そこにかかっているのである。

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