ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

話し合うサイズを思う…

f:id:s_locarno:20200312201220p:plain

オンライン授業もいったん閉幕になりそうな時期であるけど、今更、色々と実験している。もうある意味いったん終了になるから、やらかしてもこの時期なら良いかな…と。

オンラインの話合いは弾まない?

ビデオ会議システムが繋がった時期は割と生徒ももの珍しくてよく反応してくれたのだけど、さすがにある程度の回数をこなしてくると落ち着いてきてしまう。

特に難しいのが、「話合い」である。これがもう致命的に弾まない。

教室という場所で教員の目がある中で「やらされてきた」ことで、話合いの技術が身についてきていたとも感じるし、やはりちゃんと話合いの技術は育てないと身につかないのだと痛感している。

教員同士のオンライン会議についても、オンラインになった途端に普段何かものを言いたい人も黙ってしまう(笑)。

お互いの表情が見えない中で、議論するのはちょっと間合いや呼吸感が難しいのだなぁと感じるのである。

一クラスの人数のサイズで話合いなんて絶対に難しい。Zoomに搭載されているブレイクアウトルームの機能がどれだけ素晴らしいかと思い知っているところです。

あの機能を擬似的に他のサービスで再現しようとしても、トラブル頻発であまりよい形にはならない。素直に完成されているものを使うべきだと思い知っているところです。

アクティブラーニング型授業の基本形と生徒の身体性 (学びと成長の講話シリーズ)
 

もうね…二年前からやり直しって感じです。

オンラインにはオンラインのためのお作法があるし、それはまさに大人も経験したことがない未曾有の事態である。生徒と一緒に手探りでどうしたら心地の良い関係になるかを探っているところである。

話合いの仕方も様々…

しかし、上手く小グループに分かれると、話が止まらなくなる場合もあるので、よほど自粛で溜まっているものがあると感じる。

しかし、グループの作り方も完全に教員が権限を握ってしまっているし、同時に議論が展開しているときに教室ほど簡単に支援にもいけないし、なかなか技術としては難しい。

何だろうなぁ……逆に、もう沈黙になっても、オンラインならば顔を見ないで距離も置いてあるから逃げ場もあるって思ってもらって、緩やかな話の進め方のほうがいいのかな。

生徒がオンラインで話しているところに、自分が教員として音声で介入はちょっと難しい。顔を見ていると呼吸が分かるが、それが全然わからない。

教員に自分がなったころから、単元学習のようなことばかりやってきているので、生徒の学ぶときの呼吸や声のかけ方は無意識に出来ることも多くなっていたのだなと、今になって思うのである。

その立ち振る舞いが、オンラインでなかなか活かせないで、日々試行錯誤しているのが、結構、自分でも疲れているのだなぁ……。

オンラインが苦手な人がどれだけ苦労しているかにもっと優しくなろう…。

Copyright © 2023 ならずものになろう All rights reserved.