今月の日本国語教育学会の『月刊国語教育研究』は「遊び」特集号。
言葉の「遊び」とはどのくらいの可能性があるのだろうかということは、いつでも迷うのである。
学びと遊びの関係について勇気づけられる本と言えば
この本である。今回の特集号にもしっかりと登場している。
「遊び」に熱中していくことで、学んでいくという姿を信じたいと思うのだけど、なかなか自分で「遊び」を用意して単元に臨むことは難しいなぁと思うのである。
首藤先生の巻頭言
「遊び」の特集号の巻頭言は、千葉大名誉教授の首藤先生である。
自分がここで書かなくてもよい感想の書いてあるブログがあるので紹介する。ごっこ遊びの効果と「遊び」の過程での学びの価値を飾り気なく率直に説いている巻頭言である。こういう潔さがなかなか自分ような腹の据わらない実践者には真似できない。
その巻頭言でも紹介されていたこの本。
首藤先生が「翻作法」について1から10までしっかりと説いている一冊であり、学びの過程で子どもたちが生き生きと学ぶだろうなということが容易に想像できるプロジェクトがたくさん掲載されている。
どうすればこういう観点で子どもたちの学びと遊びを近づけることが出来るのだろう?
遊びから学べるだろうか
どうしても遊びというと自分の場合だとこういう話になりやすい。
元々ある作品を書き換えて、面白く解釈するという活動である。ただ、普通の解釈だと面白くないから思い切りふざけてしまうような……。
最近だとこういう本もあると教えてもらいました。
有名な文学作品(特に教科書の定番教材!)を徹底的に奈良に引きつけて悪ふざけ倒している(笑)。(国語科の先生なら元ネタがよく分かるだけにハマるはず)
ここまで悪ふざけしてもいいのかなぁと言われると、自分には自信が無い。
でも、定番教材の文章を「かく読むべし」という読み方をするのは、「もう、いいかな」という気持ちも自分の中にはあるので、いっそのこと、このくらいふざけてみることで、授業の幅も広げられるのだろうか。
きっと、喜んで子どもたちが読み書きするのだろうという予感はある。でも、それは、もう「定番教材」を教えたことにはならないのだろうなと思う。それはそれで寂しい…気は全くしなかった。楽しかったらいいのでは?
でも、ちゃんと力はつけてほしいなと思うので、どういう力をつけることになるのだろうかということは考えたい。