ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

ブログの更新は止まっても

いよいよ年内もあと三日。今年も色々とありました。

自分はこうして今日も今日とていつも通りとりあえずブログの更新を続けています。

いい加減2600日も書いていると、もう書くことはない感じがする日々ですが、それでももう惰性で続けるつもりです。時々は冴えていることも書けるだろう。

そんな中、今年も色々なブログの更新が止まったり、止まっただけならまだしもアクセスも出来なくなったなぁという印象を持っています。

更新は止まっても跡地はあってほしい

定期的に何かを更新することは非常に難しいので、それを他人に求めるのは読者の勝手なワガママであるので、そこまでは期待してはいけないだろうと思っている。

色々な事情で急に書けなくなったり、もう語るべきことが無くなったり、別の媒体で活動するようになったりと、色々な理由でブログで書くことがなるのは仕方ない。

だから、更新が止まってしまって、そのまま放置されるようなことになってもそれは仕方ないなぁと思うのである。

ただ、更新が止まっても、そのままのブログがそのままのURLで残っていて欲しいと思うのである。

別に定期的にそこに読みにいくという訳ではないし、本当に資料に残しておきたいものであればEvernoteに保存するなど色々な手段でいつでも見られるようにすることは難しくない。

ただ、何となく、そこにあったブログが閉鎖されてしまうことは物寂しさがあるのである。復活の可能性がないということも寂しいと感じるし、今後、せっかく自分が価値があると思ったものが他の人にリーチしなくなることも勿体ないと思うのである。

ブログから別の場所へと

このブログを始めてだいたい7年くらいになるけれども、だいたいそのくらいの時期に急に教員の発信が世の中的に増えたと記憶している。働き方改革の話だとか入試改革だとかの話も相まって、まあ、色々な人が発信していましたね。

今ではその発信の場がYouTubeだったりTwitterだったりInstagramだったりと割とテンポ良く情報が飛び交う場へと移動して行っているように感じる。

まあ、ブログは書くのも手間だし、読むのも手間だし、長文を読んだところであまり得るものがあるかと言われると微妙なところもあり。じっくりと書かれた書評よりもパッと把握できる要約の図解などの方がウケるし、実際、書評よりも実用性や汎用性があるように感じる。

noteに比べてもブログは手軽さはない。noteがコミュニティ的なつながり方をするのに対して、ただ、一人、自分の場所で誰かがやってくるのを淡々と待つような、そういう仕組みなのだ。

色々なものが凸凹としていて、ひっかかりを覚えるもので、のどごし良く消化できるような場所ではない。端的に言えば、面倒なメディアであり発信なのだろう。

ブログを続けている人たちが割とクセの強そうな人が多いのも、まあ、そういう何かひっかかりのある人だからなのかもしれない。

年に一度でいいので書き続けてみては?

ブログにはブログの良さがあると思うわけです。

だからこそ、もし自分のブログを持っていて放置しているのであれば、年に一度くらいは少し投稿してみてはいかがでしょうか。

その投稿を心待ちにしている人って何となくいるような気がします。

当ブログは不慮の事故が無い限り、書き続けていきますけどね。短文だろうとぼやきだろうと。もはや更新することだけにアイデンティティがある状態ですから。

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