ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

自分で決めれば良いだけでも

次々と新しいことに取り組まないと、変化についていくのが難しい時代だ。勤務校は私学なので変化しなければ生き残れないということは身につまされて思う。

ただ、変化するということには非常にコストがかかる。自分がそれまで蓄積してきた財産を使い捨てるかのような感覚になるのも仕方ない。

だからといって、今までのやり方を全部握りしめてしまえば…。

大前提として

教員の仕事は自分の思い通りにならない仕事である。どれほど順調に予定を進めていても、生徒が大きなトラブルに巻き込まれれば、自分の予定などを放り出して、その問題解決に取り組むしかない。

これは非常に負担感のあることに思えるかもしれないが、他職種もトラブルの時は、程度によるとしても、勤務時間云々を一度、脇に置いてからでないとどうにもならなくなるでしょう。

教員だって毎日時間外に生徒のトラブル対応をしている訳ではない。

残念ながら、まともな仕事の仕方をしていても、勤務時間内に全ての業務が時間内に収るかと言われると……何を重く考えるかによるとしか言えない。

まあ……早く帰れというならば、さっさと定時で留守電以外の電話を切れよと思うくらいには、なかなかこまごまとした仕事が多いと思うのである。

それでも厳しく考えるべきこと

やらなければいけないこと、やらないと後から痛い目に遭うもの、やった方がいいもの……いくつからの仕事の層が積み重なっていると思うのだけど、そうやって膨れ上がった業務量を目の前にして、色々な現場の厳しさを理解しながらも、自戒の意味で思うこととしては、「自分の仕事の量は自分で減らせるものも多い」ということである。

つまり、「やらないよりはやった方が良いこと」を自分で抱え込んでしまっているということをちゃんと意識しておかないと、いつまで経っても改善しようという発想が出てこない。

「やらないよりはやった方が良いこと」には、どういう仕事の仕方をするか、どういう教育の仕方をするか、どういう授業の仕方をするかなど、色々な要素は混ざっている。

でも、「やらないよりはやった方がいいこと」って気をつけないと、自分が変化を嫌ってやり方を変えられないだけというケースもある。変化するためのコストよりも変化しない方がコスパが良く、変化しないことで変化自体を停滞させることが出来るという、全体最適ではなく部分最適だけに特化したような発想の結果である。

何かを止められない、手放せないというのは、一方で、何か変化して生み出そうとする力を削ぐことでもある。

自分が何を握りこんで、何を手放そうとしているのか、あるいはその逆は何かということは、自覚して仕事に向き合う方が良いのである。

 

自覚した上で、何をするかは、もう個人の問題である。ただ、自分の選択を無自覚に、同じ選択をしないことを罵倒するのは……まあ、それは、誰も得しないだろうなと。

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