ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

どれほど腹を立てたとしても

世の中の変化は早い。

教員や学校の変化は腰が重い。いつだって、変化を起こすのは若者、よそ者、馬鹿者だという。なかなか大人になると思い通りにならないことも多いのだ。

変化をしなければ厳しいことも多くあるのだけど、変化したくない、変化できないという人をジャマ扱いするのはあまり良くない。甘やかす必要はないし、増長させる必要はないけど、相手の仕事の一部にだって敬意を持てないのは、あまり長期的に見て良いことにはならないだろう。

イラつきで当たっていないか

学校現場で変わろうとしない大人は非常に不愉快なものがある、それは認める。教員という仕事をしているのだから、子どもに学べというのだから、もっとフットワーク軽く、学びに向かえないものだろうかと思う瞬間は数多くある。

ただ、そういうイラつきをコントロール出来ずに、斬り捨てる方向に動くのはやはりどうなんだろうな、と思う。

自分の居場所を変えることはいくらでもできる。

でも、人を自分の思い通りに変えようとして、意地の悪いことをするのは、むしろ、変化をしようとしない人よりも悪辣なように思える。

まあ、ムカつくことも多いんですけど、相手をしていると。

何かを良くしようとするときに、何かを必要以上に責めてる必要は無いのだ。そういう自重の上にしか築けないものはある。

少なくとも、批判ではなく悪辣に笑いものにするような言い方や排除の理論で教育現場を変えようとする人とは自分は上手くやれる気がしない。そういう姿勢の見える人はおそらく思い通りにならない生徒にも同じように当たるよ。そんなに人は態度を上手に使い分けられないよ。

まあ、腹立たしいのですが

働かない大人を見ているとイライラする。

それはよく分かる。よく自分の怒っている。

ただ、そういう人たちが果たしている仕事やそういう人でも生徒を見ていることを軽視したらいかんよなと思う。

今の自分が好き勝手出来るのは、たまたまそういう時流だからである。風が変わったときに自分が同じように守株に陥らないと、どうして言い切れるだろうか。

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