何を準備していてもトラブルは起こるものである。
これは人間が関わる以上、どれほど万全を尽くしても防ぎきれないことばかりである。
そのトラブルのダメージを減らすためには、トラブルのイメージをどれだけ持てるかが大切なのだろう。イメージできないものはマネージできないのである。
イメージの数は想像力
トラブルに強い人がいる。
だいたいのトラブルに高い解像度でイメージを持てている人である。
そういう人の対応力を見ると、自分にとっては予想外に見えるトラブルに対しても予め非常に高い精度であたかも見えているような対応をするのである。
そういう能力がどこからくるのかをよくよく見ていると、やはりトラブルについての想像力が非常に正確に働いているということが分かる。
学校という場所、学級という場所は常にトラブルが生まれる場所である。しかも、超弩級の意想外なことばかりである。
これはもう仕方ない。
ベテランの教員の仕事に対する余裕は、トラブルのイメージを持てるからである。自分が痛い目に遭って身につけたものもあれば、職員室で見聞きしたことから学んでいることも多い。
だから、何かが起こっても慌てないし、だいたいの結末から計算して対応に当たるので、正確性も高ければ対応力も高い。
逆に教員に成り立ての場合は、あらゆるトラブルが自分にとっての初めてであって、対応が難しいのである。
隣で誰かが「大したことじゃないよ」と言ってくれれば良いのだけど、そういうことを言える人がいないで、一人で対応を抱え込むと途端に苦しくなるのである。
トラブルは嫌なものだから
トラブルが起こるとどうしてもまず自己防衛をしたくなる。
トラブルを指摘されるのも苦痛であるし、トラブルに対処しなければならなくなるのもキツいのである。
場合によっては自分の責任で謝らなければいけないということもある。
だから、トラブルに対してつい自己防衛的な反応をしがちになるのも仕方ない面があるし、そういう強張った態度は自然な反応でもある。
もちろん、そうやって拒絶ばかりしていてもダメなので、しっかりと聞くべき意見は聞かなければいけない。
でも、一人で全部をまとめて引き受けるのはしんどい。仕事の役割を持たないとしても、ただ、ただ「大丈夫だよ」「こういうものだよ」と言ってくれる人がいるだけで大うぶ変わるのである。
職員室の力が弱くなっている職場が増えていると聞く。
実はこういう直接授業と関係ないところの弱体化も、教職という仕事が苦しくなってきている原因の一つなのかもしれない。