季節の変わり目は色々なことが起こる。
ある意味でこういう時期のトラブルの種類は想像できていたはずなのである。
想像できたことをどうするか
だいたい、悪い想像ほど当たる。悪い想像ほどなかったことにしたくなる。
悪い想像に備えることは端的に言ってコスパが悪い。悪いことが起こってから対応した方が個人の教員にかかるダメージは大きいのだけど、全体としてはコストは下げられるフシがある。全体最適と部分最適が微妙にずれている。
ただ、悪いことを想像した段階で、手札がなくて慌てて準備し出すようだと何をやっても厳しい場合の方が多い。
何もないときに悪くするとどうなるかというパターンを想像しておいて、地道に仕込みをしていくということが重要なのだ。
これ、何の意味があるの?の最悪さ
コロナ禍を経験した教育現場の立場からすれば、結果的に見て「これ意味あるの?」とICTの利活用をバカにしてきた現場ほど、一斉休校の時に痛い目に遭わされてきたし、未だに学級閉鎖などの時に生徒を放置するしか対応が出来ないでいる。
周りに理解されなくても、地道に色々なことを試していた学校は、休校の時もいち早く対応を実現した。けれどもウッカリすると未だにオンライン配信すら覚束ない現場も残っているし、その情けなさにあまり問題を感じないという場合すら見聞する。
想像力が足りない。それだけでなく、経験したことの重さも感じとれない。
そういう感性で授業をやっていくのは厳しいようにも思う。
誠実な仕事は、いつでも地味で、面倒くさくて、泥臭い。そして、理解されないものである。
理解されないから、結局、本質的には普段の「その人」への信頼である。本当によい仕事をしたいならば。