ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

量から見えることがある

授業づくりで色々と考えているとつい欲張りすぎてやらせ過ぎになってしまうことが多い。得てして、教員がやりたいことはゴリゴリと削ってシンプルにしたほうが伝わりやすく、やりたいこともはっきりとして力をつけることもしやすい。

しかし、一方で生徒の取り組む活動や、読むべき資料や見るべき資料は、教員でコントロールしすぎないで、まずは「物量」ありきで考えてもいいのかもしれない。

多様な選択肢を持てば

国語の授業だとどうしても一つの教科書の教材で1単元というイメージになりやすい。しかし、実際は1つの単元を展開する時に読むべき文章が1つだけになるようなことはないのである。生徒たちが自分で動き出すためのフックは色々と準備するし、やりたいことが明確になって頭を使うようになればなるほど、取り組む対象が増えていくのである。

多くの資料を用意して手渡すことによって、生徒が自分で必要なものを選べるのであれば、むしろそのほうがよいのである。同じ学んでほしいことが実現できるのであれば、そのための手立てを自分で選べたのだという実感を持てるほうが、おそらくいっそうよい学びのモチベーションになるのだ。

逆に言えば、どの資料を選ぶのか、何を選ばないのか、そういうことをコントロールすることを諦めるだけの覚悟は教員には必要になる。自分がよいと思ったからこそ生徒に手渡しているのだから、そういう「捨てる」やり方は教員にとっては身を切るような痛みがあるだろう。

でも、そういうことを力まずに出来るようになれば、もっと色々な進め方ができるようになるのだろうな。

見る力を育てる

選択肢を渡して、選べるようになるのであれば、それは「自分にとって必要なものを選べる」という力も育てることになるのだろうと思う。

 

 

多くのものに目を通すうちに、自分で必要なものを見極めるだけの力を身につけられるきっかけができるだろう。自分が選んだということに対する意欲は決して小さくない。

ただ、難しいのが選択肢が増えると、それだけで萎えてしまう生徒も必ず一定数いる。

どのくらいで渡してあげられればいいのだろう。

子どもをよく見るという練習を。

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