ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

五月蠅いと思われても

勤務校は私学なので異動がない。そのため、長くいればいるだけ発言力は増していく。

いい歳になってきて、自分もあれこれと意見が言えるような立場になっている。気をつけないと、自分のやりたくない仕事を放り出せるような発言力まで持つようになっているような気がする。

持ちたくもないのに持つようになってしまったと思うのである。

歳を取れば立場は強くなる

長く同じ職場にいるということは、それだけ内実が分かるので、自分の意見を通すことは難しくなくなる。どこで駆け引きをして、どこが落とし所になるかということを探ることは難しくはない。

ただ、そういうことにエネルギーを使っていると、自分の仕事の質はどんどんと下がっていくし、どう考えても単なるワガママであるようなことを厚顔無恥に言えるようになってしまうのである。

発言力なんて持たないで、与えられた仕事を平々凡々と行う方がよほど物事を考えないでも平和的に暮らせるのである。

しかし、歳を重ねれば、それ相応の立場というものがついてくるので、きちんとその発言力には責任を持たなければいけないのである。

また、仕事についても自分以外の人にどのように割り振っていくかということについても意見が出来るようになってくる。自分が仕事の割り振りを考える機会も増える。当たり前だけど、教員はコマではないので配置や人間関係の組み合わせで、パフォーマンスは変わってくるので、考え無しには配置できないのである。

面倒なことを考えずに機械的に配置する人もいるし、自分が仕事をしないように仕事を割り振る人もいる。まあ、不誠実な人は少なくないのである。悪意があるかと言えば、そういう訳でもなく、自然と、無計画にそうしている場合もあるので、糾弾するのも大仰になる場合も多い。

声を上げられるのだから

仕事の色々な側面を見ていると、あまり良くないな、と思うことは多々見つかる。

仕事を割り振る人があまり考えていなかったり、誰かがラクしようとしていたり、どこかの意見だけに振り回されていたり、良くない仕事が見えることは少なからずある。

そういう歪さに気付いても、だいたいの場合は放置なのである。わざわざ決まりかけているものに茶々を入れることは議論を引っかき回すような行為であり、せっかくまとまっていたことをご破算にするような行為である。

でも、だからといってそういう歪さで仕事を回すのはよくないと思うのである。

だいたい、歪さで割を食うのは新人であり、若手であり、立場の弱い人である。もしくは人が良いのでなんでも引き受けてくれる方たち。

歪なあり方を見たときに、自分がその仕事を一緒になって引き受けて、負担を分け合う……そういうやり方も良いかもしれない。一緒に手伝ってくれる人がいるのは嬉しいし、そうやって仲良く仕事を覚えていくこともある。

でも、やっぱりそれではダメだと思うのである。歪になって誰かが損をしてるということは、誰かが大幅に利益を取っているのである。もしくは、仕事として、仕組みとして上手くない制度を生きながらえさせることになるのである。

敵が増えるのだろうけど

自浄していかなければ、変化していかなければ、あっという間に組織は腐る。

だからこそ、立場もあって発言力もあるのであれば、おかしいということに対してはおかしいと声を上げるべきなのだ。自分が負担を肩代わりすることも時には必要かもしれないが、そもそも歪で不合理なものに対してはきちんと根本原因を指摘するべきだし、仕事の仕方が雑でそうなっているならば、担当者に指摘するべきなのだ。

確かに、アラを見つけて指摘する人ばかりになってしまったら、職場の人間関係はあまり気分のよいものにはならないだろう。しかし、不合理をそのままにしておくのも同じくらい気持ち悪い。

何に声を上げていくのか、自分で線引きを決めて、責任ある仕事の仕方を模索したいものだ。

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