最近、Google Workspace for Educationにちょっとした仕様変更が入った。そのせいで授業で急に使えなくなるアプリが出るなどして、ちょっとした動揺が起こった。
詳細は書かないけれど、ICTで外部のサービスを色々と組み合わせて使っている以上、何かが仕様変更すると一気にドミノ式に使えなくなるリスクは常に存在している。
実際、Twitterがこの数日大混乱である。
流石にTwitterの迷走ぶりほどの混乱は教育現場のサービスでは起こらないだろうし、事前に変更については予告はちゃんと出ている場合が多いのだけど、それでも管理者じゃないと気付かないことは多くあるからね。
ICTは「いつもちょっとトラブル」という初心を忘れられない。
振り回されて嫌になる?
じゃあ、振り回されて嫌になるかと言われると、そういうものでもない。しっかりと仕様をある程度勉強しておけば、トラブルがどのように起こるのかということについては予測がつく。また、実際にトラブルが起こったときもいくつか対処のパターンのアイデアはすぐに思いつく。
何か事が起こってから「なんと」と驚くことはあるけど、割とどうにかなる。
そもそも授業設計として、上手くいかなかったときのバックアップは考えておくものである。
変化が嫌いな本質
結局、本質的には変化したくないというマインドセットの現場にとって、常にコロコロと、走りながら考える方式で変わっていく、ICTやデジタルサービスのあり方というものは受け入れがたいのだろう。
普通にICTを使おうと思ったら、今日できたことが明日には違っているという世界観は当たり前になる。ChatGPTだって一夜にして世界を変えてしまったのだから、そういうものである。
今日やったことと同じ事をやろうとしていたら、来年はきっと同じ事が出来ない。サービスの仕様の変化の方が早い。
ただ、基本的にはその変化はネガティブなものではなくて、改善の方向で動いているはずなので「変化されて迷惑だ」というのは、やっぱり上手くいっていない感じがする(厄介なのは年齢制限関係。これは使えなくする方向でどんどん規制が入っていく)。
日本の会社のネット教材系のサービスは改悪が酷いけど(UI周りが酷いことになりがちなのはあるあるでは?)、GoogleやAppleの変更が改悪だということはほとんど体感的にはない。
デジタル化するならば、マインドセットも変えていきましょう。もう、今年の授業を繰り返すというのは潔く手放していきましょう?