自分の授業の工夫は?と聞かれると答えに窮する。
授業の工夫…?
何も考えないで授業をしているわけではないのだが、何かを工夫しているかと言われると難しい。
基本的に自分の授業づくりの考え方は、生徒の状態と扱うことになる素材を見比べて、どう出会わせるのが一番よいのかということ考えて、そのまま結局、差し出すというような感じである。サラダのようなもんである。食べやすく盛り付けて出して、あとは自分で咀嚼してもらうようなものである。
確かに手引きを作ったり教師見本を作ったり参考資料を揃えたりしているがオリジナリティのある工夫などではなく、地味に定番のやり方を繰り返しているだけである。
自分で考えて…という意味では特に工夫はないとも言える。
授業の地味さ
自分の授業の生徒の様子をみていると、決して「生き生きと目を輝かせて」とか「楽しそうに」とかそういう形容詞のつくようなタイプの授業ではない。
非常に一つ一つの手続きが面倒で、考える時には頭を抱えているような様子が見えるし、表現がうまく出来ないでもやもやと悩む様子もよく見える。そして話し合いも変化が得られるようなものばかりではなくて、答えが出ないで瓦解するようなパターンも多い。
そして、授業の後に頭を抱えながら、すっきりとしないままに仮の答えを出して、単元を次に進めていくという塩梅である。
だから、「生徒がちゃんとやる授業の工夫を見せてくれ」と言われることもあるのだが、ちゃんとやっているかどうかはぱっと見ではそれほど分からないですよ、と思うのである。
得意なことはあるけれど
自分はICTについてはそれほど苦手ではないので、ほどほどに授業でICTを使っている。ただ、最近、SNSでよく見るように、あらゆるツールをモリモリと使うかと言われると、そこまで多くのツールは使わない。
だいたいGoogle Workspace for Educationのコアサービスのツール、つまりはドキュメントやスプレッドシートなどを中心に使って、その他のサービスについては適宜使っているような感じである。CanvaやPadletも好んで使うが、生徒に何が何でも使わせるというよりは、表現したいことがあるからそれに便利な道具を選ぶという感じである。
始めから見た目が整ったアウトプットをしたり整然とした振り返りをさせるために道具を与えるのではない。
苦手ではないけれど、結局、一番使い倒しているのはドキュメントやスプレッドシートなので、授業の作業は文字を地味に画面に打ち込むという作業が多くなりがちである。
指示が五月蠅い
一つ思うのが、自分の課題は指示が五月蠅いのである。
こういうしつこさはたぶん授業を考える上ではあまり望ましくない。もっとゆるやかに自然な出会い方があって良いはずなのだ。
素材と生徒の実態の急所を見抜けない凡々とした一教員に過ぎない自分は、誰かの定評のある実践を丁寧に追試していくのである。