ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

手の内を見せる

一人一台端末がある状況で授業に慣れてくると、今までどうやって授業をしていたのかを思い出せなくなる感じがあります。

また、できることが増えるだけに、どの方法を取るのかということに自由度が増え、あれをやれ、これをやれという指示の仕方が難しくなってくるのだと感じます。

やり方が多様にあるからこそ

授業の中で使える道具が多くあるからこそ、何を選ぶかということは、単元の狙いにも直結してくるので慎重にならざる得ない。

ある程度、慣れてきた段階であれば生徒自身に道具を選ばせることが重要な指導の目標になってくるとは思うが、様々な表現の手段があることをちゃんと学んでもらうことも授業では必要な段階である。

自分は親の敵よりも手書きが憎いが、それでも必要な作業の時には手書きの作業をするし、ICT端末が禁止されている場所ではそれなりに手書きでメモなどの作業ができるようにはトレーニングはしている。

はじめからICT端末のある段階だと相対的には手書きの必要性は減っていくのだろうと思うが、手書きで行うような作業が出来なくなることは望ましくないと思う(逆に言えば、端末の性能が安価なものでも特別な道具無く、iPad並に手書きのような自由で気楽な作業ができるようになるのであれば、手書きにこだわる意味はないし、早くそういう世の中になって欲しいと思っているが、自分の現役の間にそこまでたどり着く気はしない…)。

逆に手書きの習慣にだけどっぷりと浸かっていて、せっかく使える端末をただスライドやドキュメントを打ち込むだけ……みたいな使い方しかできないのは困ってしまうのである。

自分の教え子に帰国子女の生徒がいるので、海外でのICTの活用状況を尋ねてみると、小中学校でNotionなどを平気で自分のツールとして使っているそうだ。n=1の話なので一般化はできないけれど、確実にICTを自分の学習を加速させるツールとして活用している世界があることを思うと、様々な方法に挑戦して欲しいと思うのである。

押し付けない

とはいえ、この手の「知的生産」の方法論を教えることは難しい。40人いる教室で、一斉授業でチュートリアルをやるのは考えるだけでも非効率だし、そもそも普通の手書きでの授業に対して端末の操作には個人差が大きいので、一斉授業で同じツールを使って……という指導はやや難しい。

もちろん、必要なタイミングではチュートリアルをやらないと使えるようにはならないので、そういう一斉授業もやるのだが、個人差の大きい好みのある方法論の指導には向かないように思う。

個人的に思うこととしては、様々な機会にツールと使い方を示しておくことが大切なのだろうということ。

使いたいと思えば使えば良いし、自分に合わないなら無理して使う必要は無い、ということを示し続けることだろうと思う。

そして、使い方をレクチャーするというよりは、自分の実際に使っているツールの中身を見せることで、色々なイメージを持ってもらうことだろうと思う。

逆に言えば、自分が知的生産をやりつづけている人間でなければ、生徒に示せるものはなくなる。

何かを作り続けるという習慣は、授業をする上でも大切なのだと言える。だからこそ、自分自身が日々の仕事で身動きが取れなくなっていないかは気をつけたいところだ。

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